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猫にえさをあげたい
なんのために文章を書くのかなんて人それぞれだと思うけど、結局言葉っていうのは情報を媒介する伝達ツールでしかない。つまり、書き物をする理由なんて究極的には誰かに何かを伝えるためだ。
ってか、誰かに伝えようとしないと言葉ってふわふわしちゃって、なんつーんだろ、コシが入ってない感じする。やわやわの麺だ。ちょっと美味しくない。
でも、なんとなく思考を整理したいときとかも、結局俺らは言葉に頼らざるを得ない一面があって、だからこうして駄文を引っ提げて連ねる。Hello Worldってまた入力させられてる。
言葉なんて、情報の伝達ツールでそれ以上でもそれ以下でもないのにね。信仰しちゃう人とかいてもう馬鹿みたい。主客転倒してて草。大草原。
っつーことで、言葉を紡ぐ理由なんて結局、誰かに何かを伝えたいからだ。誰に? 何を? でも、もちろんその部分は毎回変数だよ。って考えると究極的に言って仕舞えば、そもそも言葉って食事でいう箸みたいな、あるいはサッカーでいう靴みたいな、そんなものだ。いたって本質的じゃない。ごめん、話が逸れた。
言葉を紡ぐ理由が誰かに何かを伝えるためなら、生きる理由も同じ強度とベクトルの位置に置きたいって俺は思う。俺にとっては書くことと生きることは少しだけ隣接している。ちょっと格好つけてるみたいな科白でクソダサいけど、やっぱり隣接してるんだ。悔しいね。悔しいし恥ずかしいしあとから友達とかに「クサいセリフww」とか言われそうだけど、まあ、いいか。
でもこんなこと言うと、それじゃあチミはなんのために生きてるの、とか壮大な話になっちゃってこれにはデカルトさんもあらびっくり。ヤダナあ。
っていうことで、そんなこんなも一旦、生きることも「誰かに何かを伝えるため」ってことにしておこう。誰に? 何を?
結局だからそれも変数やん、って言われちゃったらキリない。けど一旦、対人間だからややこしくなるってことにさせてくれ。俺だってそのときどきで伝えたい人も伝えたいことも変わるしな。
ってことで、たとえば、猫にえさをあげるためとか、そんなんでいいんじゃね? 猫って可愛いし。人類と一緒に五〇〇〇年近く生活してるし。そういえば最近キプロス島で男性と猫を一緒に埋葬してた跡が見つかったそうな。なんと九五〇〇年前。まだ全世界の猫がリビアヤマネコだった時代よ。
でもやっぱり、猫にえさあげるためだけに生きてるのか? って言われたら違う気がする(もちろんこれは比喩だけど)。やっぱり誰かに何かを伝えるためだけに生きてるんじゃなくて、それ以上の意味を持たせたいって思っちゃう。意味がほしい? うん、たぶん。え、傲慢かな、傲慢だな。
そんで、だからたまに、おんなじようにそれを言葉に敷衍したくなっちゃったりする。ひどい話だ。言葉そのものなんぞに意味なんてないのに。言葉を持たない人々に対する人種差別よそれ。ってか、赤ちゃんの頃、まだ言葉を知らない頃、俺たちはどうやって思考をしていた? 言葉以外でコミュニケーションをとる生物なんて腐るほどいるけど、ヤツらは? でも、俺たちは不幸にも、自分本位にも、傲慢にも、言葉に意味なんか求めはじめちゃってる。こわいなあ。
そうして言葉信仰とか、そこからさらに言葉狩りが生まれたりする。傲慢だな。作家志望であることに驕りたかぶって、あたかも自分は他人とは違う特殊な人間ですみたいな顔してる奴、一旦受け入れろ。お前らは何も偉くない。みんなが当たり前に使える言葉ってものにしか、意味を見出せない愚か者たち。おい、言葉ってコミュニケーションの伝達ツールで、それ以上でもそれ以下でもないぞ。サピア=ウォーフの強い仮説は否定されたよ。いつまで古い学説にとらわれてんの。……苦しいけど、本当よ。苦しいけど。
でもたぶん、生きることにも、同じくらいでいいような気する。俺らは陽子と電子と中性子のかたまりで、タンパク質の集合体で、それ以上でもそれ以下でもない。考えてるかもしれないけどただの葦だし。意味なんて求めようとするのはちょい愚かかも、とか思ってたい。
誰かに何かを伝えるため、くらいの穏やかな心持ちで。猫にえさをあげるため、くらいの、ちょうどいい強度、ちょうどいいベクトルで。ほどよいコシのある生活で。社会に適応していこうぜ。猫を可愛がっていこうぜ。
まあ俺、猫アレルギーなんだけどね。