その一瞬いっしゅんに、私がいる
In Lak’ech(イン・ラケッチ)って聞いたことがありますか?
「あなたは私、私はあなた」という意味の、古代マヤの人たちの言葉だそうです。
(あなたは私。私はあなた)
(あなたはもう一人の自分)
(あなたは私の鏡)
そんな意味を持つ言葉を、挨拶として交わしていたと。
初めて「In Lak’ech(イン・ラケッチ)」について聞いた時、私は、意味がよくわかりませんでした。
「目の前の人と私が同じ」という感覚が全くなかった。
古代マヤの人たちは、この「In Lak’ech(イン・ラケッチ)」を、目の前の人だけでなく、動物にも自然にもむけていたようです。
私がこの話を聞いてから20数年が経過しました。
実際、「In Lak’ech(イン・ラケッチ)」なんだと思う、今の私です。
自分の観る世界は、全て、私の投影である、と言う意味で。
私が笑顔を見るのが好きだから、相手もそうだろうと思って、できるだけ笑顔でいたいと思う。(でも無理しちゃうと自分も相手も嬉しくないので、無理は禁物。こころからの素直な表情を大事にしたいですね💓)
自分が言われたら嫌、されたら嫌なことは、しないようにする。(これは、実は私が嫌なことが好き、という人が世の中にはいると知る方が楽に生きられるようになることですね!)
自分が素晴らしいと思うものは、みんなに素晴らしいと思ってもらいたくなる!
などなど、自分が感じることを基準に、相手を見ている世界が、人それぞれあって、それが「ひとり、一宇宙」っていう感じ。
私が見ている世界を、他の誰も全く同じに見ることができない=全員別の世界を生きている。
この世は、人の数だけパラレルワールドがある。
そしてそれぞれの人には過去の記憶があり、過去の思い出の一瞬一瞬に、過去の自分がいて、その時の「私」を感じることができる。同様に、未来を描けば、そこに未来の私が創造されるし、例えば、映画や本の物語でも、その登場人物に自分を投影したときに、その世界に没入して、まるで自分が目の当たりにしているように感じることができる。
誰かの言葉に深く触れると、新しい世界が自分の中に創り出されて、また新しいパラレルワールドへと移行していく。
そういう掛け算的な拡大を、私たちは繰り返しているんだな、と思うのです。
ここnoteでも、たくさんの物語が展開されていて、そのひとつ1つの世界にアクセスさせてもらえる。「In Lak’ech(イン・ラケッチ)」を意識に置くことで、自分の世界を豊かに大きく拡大することが案外簡単にできちゃうようになるんだと思っています。
先月、ずっとアクセスしてなかった、mixiにログインしました。
10年以上ログインしてないSNS。
(mixi事務局にログインのロック解除してもらいました)
過去の自分の日記を読んで、過去の自分と再会し、その日記につけていただいているコメントを再読して、新たにそこにこめられた気持ちを受け取ったりしました。
あの日の私が目の前に現れました。
ログインもされないその場所で、あの時の私はそこにそのままいた・・・
そのパラレルワールドはそこにそのままあった!
そして、その解釈を私(観察者)が変えることで、違ったパラレルに移行する感覚がありました。
ただ懐かしいだけではなかった!
その体験をして思うのは、その瞬間の心の中は、文字にして残しておくのがいいんだ!ってこと。
言葉にして残さないと、忘れちゃうし、
言葉にして残しておくと、新しい発見をもたらす!
「ノートに手書きで残すといい」ってよく言われるのは、このことなんだな、と改めて思いました。
(私は手書きを残すことに抵抗が強くて・・・文字に感情が刻印される感じがするんですよね・・・だからデジタルに片寄りがちなんだけど、、、表せる情報量としたら、手書きの方が多いんだな、と思っているところです)
タイムラインは流れているようだけど、実際は連続していないのかもしれない。何度でも出会った時に、新たに感じることがある。
知らない誰かの経験(言葉)を見せてもらえることから、追体験をして知ることができて、私の宇宙はまた拡がります。
過去の未熟な私が見えなかったものが、今の私から見えたりして、世界の解像度はもう一層深まったりします。
生きることの面白みは、こういうところにもあるんだな、と思っています。
今日も読んでくださってありがとうございました。
In Lak’ech(イン・ラケッチ)
また、明日❤️