アサガオで人生を悟った話。
私は小さな頃からマイナス思考だった。
記憶力が良く、3歳ごろからだいぶ鮮明に思い出せる。
その頃幼稚園に通い出した私は、3月生まれで不器用。他の子のようにうまくできないことが多く、自信をなくしていた。
ハサミが真っ直ぐ切れない…
折り紙の角と角をくっつけられない…
粘土で丸を作りたいのに三角になっちゃう…
ほんとうに些細なことだけれど、細かいところまで未だに覚えているくらい当時はショックだったのだ。三つ子の魂百まで、である。
そうしてみるみるうちに自信を無くし、もう自分でもびっくりするくらいのマイナス思考が形成されていった。2つのエピソードを挙げよう。
お誕生日会でもらえるカードに、先生から「かおりちゃん(私)はものしりで…(以下略」とお褒めの言葉が書いてあったのだが『たっちゃん(友達の男の子:仮名)の方がものしりだもん。先生、たっちゃんと私を間違えたんだ。』と考え、勝手にショックを受ける。
出席番号が誕生日順のため、誕生日の遅い私は何かにつけて名前を呼ばれるのが一番最後。それも自分が出来が悪いからいつも最後に呼ばれるんだ。とずーっと思い込んでいた。
ここまでくると被害妄想に近い。幼い私が悩まなくてもいいようなことで悩んでいたと考えると、自分のことながらかわいそうすぎて抱きしめてあげたくなる。
今では「逆にこの年齢でここまで考えられるって実は天才児じゃ?」と思えるくらい楽観的な人間だから安心してほしい。
小学生になっても、上級生からイジメにあったり、未だに出席番号が最後(これは誕生日順だから仕方ない)で、マイナス思考は続いた。
そして迎えた、初めての夏休み。アサガオの観察日記が夏休みの宿題。友達と朝のラジオ体操の度に観察日記を見せ合った。早い子はお盆前には咲いていた気がする。友達の家に遊びに行った際にも、立派なピンク色をした、大きなアサガオがいくつも元気に咲いていた。
さて私のアサガオはというと…お盆を過ぎても咲かない。茎もひょろひょろともやしのように細く、葉も色が薄く元気がないように見えた。
やっぱり。どうせ私はアサガオを咲かせられないダメな子…とばかり考えていた。
諦めて溜まった宿題に取り組んでいた、夏休み終了2日前。
アサガオは突然咲いたのだ。
まだ小さな手の平にすっぽり収まるくらいの小さな小さな花。友達の家で見たようなピンク色ではなくて、青の混じったような薄紫色。
私はその小さな花を見て、人生の何かを悟った。
立派な花をいくつも咲かせるような主役にはなれない、土壇場で大きく花を咲かせるような逆転満塁ホームランもない、地味で気付かれないうちに、そっと咲き、いまにも閉じてしまいそうな花。
ああ、私はきっとこういう人生なんだ。目立たなくて遅くてへんな色の人生を歩むんだ。でも、いつか咲ける。小さなアサガオは、小さな私を妙に納得させた。これでいい。というか、私にはこの生き方しかない。と妙に確信めいたものだった。
じっと見つめたアサガオを、薄紫と水色のクーピーで観察日記に描いていく。
そこにはもういつものマイナス思考はいなかった。
小さなアサガオを咲かせた誇りと、
これから続く長い人生への覚悟が残っていた。
あれから20年以上が経過したが、あの頃悟った人生と割と近い人生を歩んでいる。目立った成功も収めていないし、苦労ばかりの人生というわけでもない。友人には面白い奴だと言われるが、初対面だと無味無臭。
あの頃と違うのは、そんな自分も好きになれたこと。
今日も、誰かの心にちょっとでも咲けたらいいな、と考えながらこうしてnoteを書いている。