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政治の世界を目指した話
懐かしい写真
Facebookである機能で過去の投稿がタイムラインに出てくることがある。
その中で3年前にアップした2008年の写真が突如としてタイムラインに登場。
かつて所属していた政治塾の20代後半の頃の懐かしい写真。
現職の代議士をはじめ、元都議会議員や地方議会議員になって今も現役の人。知事特別補佐で天下った人も写っている。
錚々たる面々の写真の中で、自分は乗り遅れたかなという感じがしてきた。
政治の世界に行こうとした理由
2005年の郵政解散以降、選挙に出て政治を目指そうという若者がかなり居たような氣がする。
その熱が冷めやらぬ2006年は、いわばデフレのピークの年。大手外資系でボーナスなしの契約社員していた頃だ。
その頃から、ニュースを引用してmixiで日記を書いていた。そこそこの評判がある一方で、その能力を活かしきれてないジリ貧生活。
そんな中で目指そうとしていたのが、政治の世界だった。
政治の世界に行こうとした理由。それは単純に”お金”だった。
政党の政治スクール
そういった私の思いが届いたのか引き寄せられたのか、R25という雑誌に某野党の東京都連が政治スクールを開くという記事が掲載されていた。当時の竹下派の重鎮の講演…を聞くまでもなく、自分はもう応募して受講する腹積もりでいた。
履歴書を提出したところ、見事パス。某与党第一党の政治スクールと違って月一土曜日に開催されるサラリーマンには嬉しい日程構成。党本部で受講したあとは国会図書館で昼飯と食べ、そのまま憲法の勉強。っというルーティンを楽しんだ。
また国会図書館を出たあとは、電車賃を少しでもケチるため、議員会館の裏から溜池山王に出て六本木~麻布十番まで歩いてそこから電車乗って帰る、みたいな事をしてたので、おのずと体力も楽しみながらつけていたと思う。
政治家は諦め政策秘書を目指す
翌年の3月に修了式を迎え、やはり自分には政治家は無理だということが解った。意外にお金が入らないし、失職のリスクが大きいと判断したからだ。もとより自分で先だって何かするという性格でもなかったので、政策秘書の道を歩もうと考えた。
しかし、結局はそれも試験からの採用は殆ど無理ということがわかったため、断念。
政策秘書は年間1000万円/1人の歳費がかかり、それだけ税金投入するだけの価値を見出すため難関の試験をさせ合格したものだけを採用する。
ただそれだと、必要最低限の人材が確保できない。
そのためいくつかの抜け道をつくってそこから必要人数を確保するとしているとわかったからだ。
その抜け道というのが以下のもの。
1.弁護士、司法書士などの資格保有者は無条件。
2.現役の公設秘書で、それ専門の研修を受けた者。
3.会社も含めた組織に10年以上所属し、その専門分野の書籍を出版している者。
結局のところ、即戦力となる人材が求められるので、こういう抜け道つくっておかないと回らないということだろう。
実際に政策秘書の方のお話を伺う事があったが、宮仕えで選挙に投票にすら行けないぐらいの忙しさらしいので、もしなったとしてもメンタル的にも持たなかったと思う。
一応は政策秘書試験は受けたのだが、当然のことながら落ちた(笑)ので、能力不足というところでも良かったのかなと思う。
参考文献他
今はもう政治の世界を目指そうとも思わない。
かつてのボス(安倍晋三元総理大臣のメンタルヘルス担当)からも政治の世界を進められたが、もういいかなと思う。
しいて関わるとしたら、県庁の仕事進まん時に地元代議士に陳情出すぐらい。
中に入れば入るほど自由が利かなくなるせかいであることは良く解った。
それでも良いという人は、やってもいいかもしれないと思う。止めはしません(笑)。
最後に、わたしが当時参考にした文献を紹介して、しめくくりとさせていただきます。