GUILTY&FAIRLY 『紅(あか) 別の世界とその続き』著 渡邊 薫
第十話 禁忌の扉
数年ごとに、リリーは歌で呼ばれた。
門番の仕事だ。
呼ばれると、リリーは嬉しそうに海面に向かった。
何年もそうして過ごすうちに、リリーは少しづつ鱗が剥がれ落ち、魚の皮膚が剥がれ落ち、さらに美しい人魚になった。
門番以外も海面に出ることはできた。
けれど僕は、行きたいと思う理由もなかった。
毎日海の底で暮らした。
ある時、禁忌の扉があるという話を聞いた。
石のような色になったサンゴ礁が作る大きな輪。
これが扉らしい。
ここを潜ると、たちまち人面魚に変わってしまう。
この海の世界では有名な、誰でも知っている話だった。
この扉は隠されるわけでもなく、堂々とそこにあった。
「禁忌の扉はやけに堂々とあるんだね。隠されもせず。……まるで誘惑しているようにも見えるね」
僕がそういうと、
「そうかな? あえて人目につく事で止めようとしているのかもね」とリリーは返した。
「君にはそう見えるんだ」
僕たちは友達を作らなかった。
それに、同じ場所に留まっている人魚はあまりいなかった。
リリーが呼びだされるたび、僕は僕の目の前を過ぎ去っていく、人面魚たちの数を数えていた。
僕には他にする事がない。
こちらの世界に来て何年も経った頃、
もう半身程が人間になったリリーが、海面から戻って来て僕に興奮気味に言った。
「今日は誰が私を呼んだと思う?!」
「……さあ、分からない」
「ウィリアムよ!! 私たちがいなくなって探していたんだって! それでここの噂を聞いてやって来てくれたの。明日また来てくれるらしいの!」
僕たちがこの世界に来てもう何年も経つ。
ウィリアムはどれくらい老け込んでいるのだろう。
リリーは全然彼は変わっていないと言っていたが。
知り合いに会えてリリーは嬉しそうだった。
元気なリリーを見られて僕も、嬉しかった。
明日を心待ちにしているリリーが可愛らしかった。
けれど期待とは裏腹に、何日経ってもリリーは呼ばれることはなかった。
何故なんだ。
最近元気になってきたリリーも寂しそうだった。
ある日、またリリーは呼び出された。
今更、まさかウィリアムが呼んだのか? 僕は少し怒っていた。
僕は、元気のなくなっていたリリーの為にも一言いってやりたかった。
「僕も連れて行って」
リリーは頷き、僕の手を取った。
海面に上がると、そこにはウィリアムがいた。
ウィリアムだ!
懐かしくて嬉しいという感情と共に怒りも湧き上がった。
「君は、リリーと明日また会おうと約束したんじゃなかったのか? リリーは楽しみに君を待っていたんだぞ。こんなに待たせるなんて」
すると、ウィリアムは不思議な顔をしながら答えた。
「だから、来たんじゃないか。昨日そう言う約束をして、今日は朝からここに来ている」
「昨日だって?」
「ああ。君たちがいなくなって、もう一ヶ月は経つ。僕だって、リリーをここで見つけてびっくりした。また会えるのを楽しみにしていたよ」
「一ヶ月だって?! 何年もの間違いじゃないのか?」
「何を言っているんだ」
見た目のほとんど変わらないウィリアムを見て、僕は唐突に理解した。
陸の上と海の中の世界は時間の進み具合が違うと。
それから何度かウィリアムにリリーは呼び出されていた。
僕はついて行かなかった。
「ウィリアムが……海の世界に興味があるんだって。……門番の話もしたわ」
「ウィリアムが来たいって言ったの? 君は断ったんでしょう?」
「私、もう充分よ。私、特別な存在になれたの! こんな役割ができたなんて。幸せよ」
そう話すリリーの体はもう三割ほどしか魚の部分はなかった。
リリーの笑顔は穏やかだった。
僕はその笑顔を見て、この先の未来が見えた気がした。
もうリリーにウィリアムと会って欲しくなかった。
けれど、リリーはまた会う約束をしていた。
人魚の命は、永遠のようにも思われた。
何年経っても僕たちはほとんど歳を取らない。
食べ物にも困らない。
ただ毎日、目の前の景色があった。
こちらの世界に来て、数年は遠くの海までリリーと一緒に泳ぎまわった。
どこまでも続く海の中は、やはり混沌としていて、色々な生き物がいた。
僕たちはこの未知の世界に心踊った。
けれど、数年そうして過ごすうちに目新しさはなくなり、元の場所に戻った。
決まった家がない僕らには色鮮やかなサンゴ礁がある最初の居場所は家のようにも感じた。
海にいる何年もの間、リリーは向こうの世界との繋がりを持つ門番として人間に呼ばれ続けた。
僕はひとり海底に残り、リリーが戻ってくるのを待った。
僕の目の前を通る、人面魚達の数を数えながらじっと待っていた。
僕はいつも祈っていた。
誰も海の中の世界に興味を持たないようにと。リリーが僕の元に一人で帰って来ますようにと。リリーが戻ってくると、人間と話した陸の話を僕にしてくれた。
正直僕は、内容はどうでも良かったが、リリーが楽しそうに話すのを見るのが楽しかった。
陸から笑顔で戻ってくるリリーが眩しかった。
とうとう今日は、ウィリアムと会ったらしい。
彼は海の世界に来るのをまだ少し躊躇っていた。
僕は、その話を聞きながら、目の前で人面魚が喰いちぎられるのをぼんやりと眺めていた。
人魚はどうやって命尽きるのかな。
何故だか大きな生物も、人魚を襲ってくることはなかった。
食べられてしまうのはいつも人面魚だ。
僕ら人魚には長い寿命はあるけれど、命を脅かす何かはなかった。
リリーはまた別の誰かに呼び出された。
僕はまた人面魚の数を数えた。
……あの法則、なんだったかな。……時間と共に乱雑になり、混沌とする。
勝手に整う事はない。
勝手に減少する事はない。
誰が整えるのだろう。
乱れていくモノたちを。
誰が減らすのだろう。
壊れてしまったモノたちを。
ジャン、これからよろしくね!」『GUILTY & FAIRLY: 罪と妖精の物語 color』(渡邊 薫 著)
全てはある妖精に出会ったことから始まった。
これは、はたして単なる冒険の物語だろうか。
異世界への扉。パラレルワールドに飛び込むことが出来たなら、どうなるのだろう。
自分自身はどう感じ、どう行動していくのだろう。
あるはずがない。
凝り固まった頭では、決して覗くことのできない世界。 https://a.co/9on8mQd
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