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【小説】  猫と手紙  第16話

第16話

父は、僕が幼い頃から海外赴任で家にほとんど居なかった。
唯一、僕の誕生日にひと言書かれた一枚のメッセージカードと、プレゼントが送られてくるくらいで、あまり父がどの様な人だったのか僕の記憶には無い。
それでも母は、
「お父さんは人のために自分の時間を削ってまで働く素晴らしい人よ」と褒めていた。
僕がもらったメッセージカードを見て、
「良いなぁ。お父さんから貰えるなんて羨ましい。大切に想ってくれているね」
と言いながら笑っていた。

けれど、母のその様子は少し寂しげだった。
僕はそんな母を見て、母は僕が守らないといけない。
それが自分の役割だと、誰よりもしっかりしないといけないと、そう思い続けていた。

だけれど、僕も甘えたかった。
 
僕の父だという人から貰ったカードには、シンプルで優しい言葉が書かれていた。僕はその言葉とは真逆の、苛立ちに似た感情を父に抱いていたのかも知れない。
こんなカードのどこが良いのか、羨ましそうに見ている母の気持ちが分からなかった。
僕は母に見つからない様に、毎年そのカードを捨てていた。

僕は、寂しそうな母の味方でいてあげたかった。母に喜んで貰いたかった。母の期待に応えないと。そう思っていると、いつからかどれが自分の本音か分からなくなっていた。

自分でも自分の気持ちが見えなくなっていた。

いつしか守りたかったはずの母にすべて責任を押し付けて、自分でも気づかないうちに母を遠ざける様になった。
それでも僕を心配して送ってくる母の手紙は、とても僕を息苦しくさせた。


そんな僕の前に突然現れた彼女は、いつもどこか母を思い出させた。けれど、彼女と居ると濁ってしまっていた過去の思い出はかき消された。
彼女の世界は、いつだって楽しそうだった。
一緒に居ると、僕の世界まで楽しくなる気がした。
 
 
昼間の川沿いは散歩やランニングをする人がいて、前に彼女と歩いた夜中の風景とは全然違っていた。

僕の前をご機嫌で歩いていた彼女が振り返って言った。
「犬だ!」

可愛らしい子犬の散歩をしている人とすれ違った。

通り過ぎると彼女は、
「犬だったね~」
とだけ言っていた。

僕は、
「犬だったね」
とだけ笑って答えた。

ご機嫌そうな彼女に僕はありきたりな質問をした。
「犬と猫だったらどっちが好き?」

彼女はちょっとだけ考えて答えた。
「そうだねぇ~……鳥!!」

僕は、予想外の答えすぎて戸惑った。……鳥?
二択だったのに彼女はどちらからも選ばなかった。

僕は今まで選択肢以外から選ぶ事をしてこなかった。
答えは決まったものの中でしか選べないと思っていた。
だって普通二択で聞かれたらどちらかで答えるだろう?

彼女はいつも自由で僕をハッとさせた。

彼女は手をパタパタとさせる仕草をして言った。
「この空を、フワフワどこまでも飛んでいくの。いや、ビュンビュンと、かな」
僕は、
「ビュンビュンと?」
とその勢いの凄さに笑ってしまった。けれど、彼女が鳥ならフワフワともビュンビュンとも飛べる気がした。

「あなたは、犬と鳥と猫どれになりたい?」
と彼女が聞いてきた。

僕が彼女に投げかけていた質問から大きく変わってきていた。
何になりたいか?
動物になりたいなんて思った事もなかったし、考えたこともなかった。

僕は、沈黙して真面目に考えて答えた。
「……猫」

犬の様に、主人に飛びかかっていくほど誰かに懐く自分も想像できなかったし、自由に飛べる鳥になっても行きたいところも無かった。猫になったら、暖かい居心地良い場所で丸まってじっと過ごせる気がした。

彼女は僕の答えを聞いて、
「意外だね。鳥っぽいのに」
と言った。

僕の何を見て鳥っぽいと言ったのか、彼女の頭の中は僕にはよく分からなかった。僕に鳥っぽい所なんて無い。

けれどあえてなぜそう思ったのか訊ねたりはしなかった。
そんなにたいして真面目な理由は無さそうに思ったから。
彼女との会話はいつも意外性があって面白かった。
僕が絶対考えもしないような事を思い付いては喋っていた。
彼女には僕と世界は違って映っているのかも知れない。

きっと彼女の目に映る空は、僕の目に映る空より美しい。
 

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