映画鑑賞について

 2017年2月から映画を映画館で自発的に観ることを始めた。約20ヶ月経ったことになるが、最近却って映画を観ることに忙殺されているように思う。
 映画を観る理由は、それがDVDを自宅で観ることであった頃は、専ら人生の問題に対して何らかのヒントを得たいからだった。それ故快楽を追求するようなアクション物や娯楽作品は選ばなかった。道徳的に自らを高めてくれたり調整してくれたりするような作品を選んでいた。映画館で観るようになって、それが半分は現在の最新作や話題作を自分の目で観ておくという目的になった。映画館に行くと、多くのチラシやポスターを目にして今後公開される作品を知る。映画館では公開に日時と期間の定めがあるため、自分の感情の赴くままに観ていたDVDのようにのんびりと構えておれず、仕事等の休みがある日時に合致するスケジュールを組み立てねば、観ておきたいものを網羅することができぬ故、今観たい気分でなくともその日程で観るということも度々生じる。すると、映画鑑賞はまるで課題のように義務的なものになって行き、体調が優れぬ時や心境が向かぬ時に上の空で観たりして、後で振り返った時にあまり良い時間の過ごし方をしなかったなと思う鑑賞体験も増えて来たのである。だから、最新作や話題作を追うことに疲れた数日前、かつてのように心の赴くままにレンタル店でDVDを選んで借り、それを家で観ようと思った。実際にそうして借りたものを観たい時に観てみると、矢張り自分の心の成長や調整に繋がった。その時本当に己が抱えている問題に関わる物語であることや、途中で止めてしっかりと書き取りや感想を記してじっくりと考えながら観るからかもしれない。しかし、映画館で観ることにも、家で観ることとは違う良い点があると思う。画面が大きく細かなところまで見ることができるし、音響が良いので現実のように感じられる。身体に訴えかけて来るのだ。これはあまり感覚的だと馬鹿にはできぬ。読書やDVDのように自分で想像せねばならぬ部分が多いものは記憶を喚起するが、大画面の仔細な描写や臨場感あふれる音響を身体で感じることによって喚起される記憶もあるのではないか。また、映画館では絶対に途中で物語を止めて席を立ったりゆっくり文章を書いて考えたりすることは出来ぬ。それ故に、ずっとその物語に思考と身体諸器官を集中させ、始まったら最後まで物語の世界に全身全霊でついて行く必要がある。これでは取りこぼしてしまう気付きや思考の種が幾つも生じてしまうが、しかし、こうして逃げ場の無い隔離された環境で2~3時間その物語に全身全霊を傾けることでしか生じぬ結果もある。それは仕事や講義や訓練や鍛錬や勉強に長時間専心取り組んだ後の状態に似ている。要所要所で休憩を取りゆっくりじっくりと己の心身と向き合って考え書き記しながら1作品を観ることも、全身全霊を傾けて休むことなく最初から最後まで専心1作品を味わうことも、どちらにも効能があるのだ。よって、大切なことは、その映画を観たい本心を大切にすること、つまり本当の動機を大切にすることと、時には人の勧めに応じて作品を選んでみることと、己の心身の現状を落ち着いて把握して適切な鑑賞方法を選ぶことである。
 何の為に映画を観るのか。私にとって、それは、家族と人々を守り支え救えるように己が成長する為だ。読書も同じ理由で行うが、映画を観ると、読書の時とは違い、実際に人間が動いているので、それを観終わった後に身体が感じたことによって己の足りぬ点に気付いたり己の願望に気付いたりしたことが理屈を考えずとも腑に落ちるのである。読書は、これに論理的思考によって到達する。感覚的に到達するか、論理的に到達するかの違いがあるので、映画鑑賞と読書が共に己の成長に必要な大切な営みであるならば、その両輪を意識して嗜んで行くことである。心から求めたものは、いつも私にかけがえのない学びを与えてくれた。そんな、「芸術の持つ本当の力」を知りかけている今なら、私の心と体がどちらの方法をとるかをいつも教えてくれるだろう。よって、迷った時は、目を閉じ耳を澄まし、己の心と体の声に耳を傾けることだ。これが私の映画鑑賞の作法である。

2018年10月14日

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