自分の道、自分の感性
Twitterをやめたい。最近そう思うようになった。出会った方々がいて、誰のことも嫌いではない。仲良くして行きたい。では、何故Twitterをやめたいのか。それは、自分の感性がわからなくなり行く危機感を覚えているからだ。
今朝、目が覚めて、思った。Twitterを始める前は、こんなにいつも人にどう思われるかや、人が何をしているかや、どこでどんなイベントが開かれているかなどが頭の大部分を占めていることはなかった。もっと純粋だった。美しかった。真摯だった。勤勉だった。現実と、幾つかの時代の風雪に耐えて選び抜かれて来た上質な創作物の感想で心は占められていて、誰かのことを思うときはその誰かを守りたいとか幸せにしたいとかそのように慈しむときだった。Twitterを始めて以来、誰かの動向をただ気にしているという状態で多くの時間を過ごして来たことに、愕然としたのだ。この身も心も、授かった命も、意識せぬ間にこんなに汚れて、周りに反応するだけの無益なものと成り果てていた。何という愚かな行為に手を出してしまったのだろう。そう思った。
では、私はどのように在りたいのだろうか。人を愛したい。人の役に立ちたい。今度は、社会の奴隷のように扱われるのではなく、自らの尊厳を守り、自らの誇りを堅持し、働きたい。悪い条件で働くことが社会貢献だなどと思っていた。そうして、人のやりたがらない仕事を如何なる条件でも進んでやって来た。それは今時折振り返っても、身体も心も最も苦しい日々であったが、私の心が最も穢れなく美しい日々でもあったと思う。だが、それは自分を傷つけるだけでなく、将来に渡ってそのような雇用をのさばらせ、次々と餌食となり社会から認められず苦労する人々を増やすことに加担する行為でもあったのだ。今もそのような働き方で苦労なさっている多くの方々がいらっしゃる。目にすると、申し訳なく思う。私もそこにいて共に苦しまねばならないのではないか。私だけ良い条件の仕事を目指すなど、とても心苦しい。どうやってこの感情と付き合って行けば良いだろう。Twitterの社会問題を提起する投稿に幾ら「いいね」を押したとて、何も変わらぬ。本当は、行動したいのだ。少しでも良き社会を実現させる為に、できればボランティアではなく職業として務めたかった。年齢制限で国家公務員総合職に就くことは叶わなくなったが、まだ若く結婚と出産と育児もしたいと思う。自分の幸せの為だけではなく、ずっと皆の幸せを願って、そのような未来を思い描いていた。いつからだろう。努力することを諦めてしまったのは。年齢制限で夢が絶たれた時だと思うのだ。人生に絶望してしまった。
20歳からアルバイトを掛け持ちして自活しながら国家公務員の試験を受けて来た。フルタイムで働きながらの勉強は大変だったが、夢に向けて努力するのが楽しかった。いや、当時は楽しいなどと思ってはおらず、真剣に国家と国民の為に専心働く志を持ち、多くの人々の役に立つ為に、働きながら仕事の復習練習予習を続け毎日欠かさず頭と身体と語学を鍛錬した。しかし、面接で落とされてしまう。怖くてたまらず、面接の会場ではいつも身体が震えて声も震えていた。当時は、週7日勤務で複数のアルバイト先に勤めていたので、就職支援機関に指導を受けるという考えも及ばなかった。自分の時間は、全て人に求められたら応じることに費やさねばならぬと、本気で考えていた。
その後、誰からの求めも断ることなく応じていると終電で帰り始発で向かう生活が続いて寝坊を度々するようになり、寝坊するのが怖くて夜に眠らないように気をつけるようになった。ある日、バス停でバスを待っていた時、ポンポンと肩を叩かれてふと気がつくと、どうやら立ったまま眠っていたらしく、隣で待っていた方が起こして下さったのだ。そのような生活を続けて、ある日布団で目が覚め、寝坊してしまったことに気付いた。携帯電話には、お店からの沢山の着信履歴やメールが記録されていた。謝らなければならない、でも、謝ったところで改善しなければまた同じ過ちを犯す、どのようにして改善すれば良いのか...そうして考えて、どうしても謝る方法が見つからず、拾ってくれたお店に不義をはたらいていることを申し訳なく思いながら、ずっと謝る方法を探して、よく覚えていないのだが数ヶ月を過ごしたようである。
どうして謝らなかったのか。方法なんて二の次で、まずは謝るべきだった。どんなに叱られても、解雇されたとしても、誠実に謝ってお互いにけじめをつけるべきであった。それが物事の筋であったろうに。あの時、私は人生で恐らく初めて、道徳に背いてしまったのだろう。
その後、再度日雇い派遣の仕事をしながら固定で雇って下さるアルバイト先に出会い、公務員試験を受けるだけでなく大学に通ってきちんと勉強しようと思うようになり、あのお店に謝らぬまま生活を築き直し始めた。センター試験の申込みの時期に祖母が危篤状態に陥った報せを受けた。家族は皆それぞれに正規の勤め先や修学先があり、フリーの状態であるのは私だけだったので、大学進学を目指していたことは誰にも告げず、私が祖母の介護をすることになった。
祖母の介護で田舎に来てから就職支援機関の存在を知った。面接に落ちる理由はコミュニケーション能力が低いからだろうと思い、就活支援機関に通い幾つもセミナーに参加しカウンセリングも受け書類添削も受けた。そうしたら、民間の企業からはお声を掛けて頂いたりするようになった。それでも、何か自分の中で違和感が拭えなかった。何か大切なものを、小手先のテクニックで誤魔化しているのでは無いか。本当に必要なのは、面接や書類練習やセミナー参加で「就活のコツ」を知りやる気やコミュニケーション能力を一時高めることではなく、基礎から学問に励み粘り強く考える習慣や考えるのに必要な知識や思考能力や他者との継続的な関わりを磨く事で、それによって一時的でない確かな実力をつける事だったと私は考えている。それを5年以上も前から理解していたのに、田舎に来てからは、大学に行く道を真剣に具体的に考案しなかった。焦ってセミナー三昧の日々を送って漸く頂いた幾つものオファーを全て断り、結局非正規公務員の限定的職務にのみ従事する事務員というモラトリアムを選んでしまった。私には、生きることに対する真剣さが足りなかったのだ。
私には足りないものがある。学歴だ。面接官に疑念を抱かせぬ確たる資格としてだけでなく、安定した教養と人格を修養したかったのである。何故、お金を貯めてアルバイトではあるが親に頼らず休まず遊ばず弛まず必死に働き勉強し大学進学を目指していたのに、介護の為に職を辞して田舎に来てから、進学を諦めてしまったのだろうか。祖母が亡くなり、数年経ち、漸く大学で学びたかった志を思い出した。祖母が生きている間に言い出せなかった。本気で打ち明けていたら、夢を応援してくれたのではないかと思う。いつも勉強していると言って褒めてくれた。遅くないと言ってくれた。戦争で沢山の大切な夢を諦めねばならなかった祖母が、まだまだ人生の苦労の足らぬ私にそう言ってくれた。そんな人になりたいと思う。母に「もう遅い」と言われた。下のきょうだいたちには、留年しても何年間も大学に行かせてフリーターにならぬように援助して来た両親が、私には高卒の給与や待遇で働けと強いるのは何故なのだろう。このようなこと、何故かと己に問い詰めたとて、結局将来の為には何も役立たぬのではないか。今私が為すべきことは、諦めずに勉学に励むことでないか。幾らフルタイムで保険に入って働いたとて、非正規労働には負える責任に限りがあり、成長したいのになかなか仕事を任せて貰えず、成長できない。収入は僅かで、生活を切り詰めたとて、映画を観たり本を買ったり旅をしたりすることを楽しみながら貯蓄して行くことは難しい。責任を担いたい。成長したい。十分な収入を継続的に得たい。働いていないことを誰にも責められずに勉学に励み大学を卒業してから就職できた人は、とても幸せだと思う。私もそうなりたかった。フリーターなどと片仮名言葉で不真面目な印象を付けられて呼ばれながらも十分に準備し一切気を抜かず真剣に働かねば、首を切られて路頭に迷うことになる。そうした自己の生計の為だけでなく、お客様や会社の為にも、自分が低い賃金で昼夜を問わず呼ばれれば働き仕事の為の予習復習練習勉強も欠かさなかった。それは私だけではないだろう。私は、そうして不真面目で怠け者で享楽的な印象を抱かれそのような呼び名で呼ばれながらかつて働いた方々や今も働く方々のことを、尊敬している。経験のない人が思うのとは違う世界が広がっているのだ。
国家公務員総合職に落ちて絶望したのは何故かということに話を戻そう。その職業に就いて心血を注いで国家と国民の為に身を粉にして働きたいという気持ちが強かった。それ故に、人への愛情が濁ってしまったのだろうか。本当に皆の安全安心を守り皆が幸せに暮らせる社会を築きたかったのなら、職業に就けなくても絶望せずに愛情を胸に心身の鍛練を続けて道を探し続ければ良かったのではないか。貧しく辛い生活を送っていたことを知らぬ親は、ずっと実家で暮らしていた下のきょうだいたちの努力や苦労のことを私に話す。下のきょうだいたちのことは全く嫌な気持ちを抱かぬのだが、両親に対しては不信感が拭えぬ。親に教育費を負担させて大学を出たにも関わらず子に苦労を押し付けるのは何故なのか。自身は教養を磨く機会があったにも関わらず、見えないところで努力や苦労をしてそれを愛する人に語らぬ人もいることへの想像力が無いのは何故なのか。私は彼らの立場を想像し、もう打ち明けることも頼ろうという思いを抱くことも止めねばなるまい。親にもう遅いと言われても、己と、厳しい時代を生き抜き多くを諦めて尚他者を愛せる姿勢を示せた祖母と、己の苦労と努力の道を知る人々と、かつてや今も人から下に見られながら真摯に働く人々の強さを信じ、私は己に足らぬ教養を磨く為、鍛練を怠らぬことにする。
この文章は、己の内面を整理するために綴ったものに過ぎぬので、改行も少なく恐らく文法や構成や言葉選びも不適切なところが散見し読みにくかったことと思うが、もしも最後までお付き合い頂いた方がいらっしゃるのなら、それが他者に危害を加えるものでない以上貴方の夢を大切に温めて貫いて欲しいと私は思う。
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