【第2章】その42✤1459年秋 ブロア・ヒースの戦いとラドフォード橋の戦い
※こちらの写真はヨーク家の子供達が幸せな時代を過ごしたラドロー城
もうこれ以上、大人しく待つことはなんの得にもならないと考えていたヨーク公リチャードは、ウォリック伯リチャードとその父のソールズベリー伯リチャードを自分の城であるラドロー城に呼び寄せて作戦を練る計画を立てていた。
一方、王妃マーガレット・オブ・アンジューは、夫ヘンリー6世を支持する貴族達を集め、銀の白鳥の飾りを配っていた。この美しい銀の飾りは思った以上に効果があり、この白鳥の飾り欲しさに王妃側に付く貴族まで出てきた。当時「騎士団」は騎士の憧れで、この銀の白鳥はまるで騎士団の勲章のようでもあったのだ。
イングランドには14世紀にエドワード3世によって創始されたガーター騎士団というのがあったが、この騎士団団員と認められる人数は王と王の子供達や親族25人だけと決まっていたので、残念ながらガーター騎士団の勲章を貰えない王族ではない貴族達にとっては、このような銀の白鳥でも充分嬉しかったのだ。
その効果もあったのか、味方の貴族も思った以上に増え、王妃マーガレットは
「機は熟した」と考えた。そしてちょうどその頃、やはりヨーク公リチャードの計画によって、ソールズベリー伯がミッドランズ北東部のミドルハム城からミッドランズ南西部のラドロー城に向けて出発すると知り、自分の兵達にソールズベリー伯を捕らえよ、と命じたのである。
それがブロア・ヒースという場所で、1459年9月23日の朝のことだった。
最初の段階で、兵が倍の数だった王妃マーガレットのランカスター派側がどう見ても優勢だったので、ソールズベリー伯のヨーク派側の兵士達は
「我らが運も尽きた」と、最期を覚悟してその場で土の上に接吻したと伝えられている。
それほどに最初、ヨーク派側は劣勢に見えたのだ。
ところが、さすがカレー総督であり、また海賊まがいの事をしていても大成功を収めている有能なウォリック伯リチャードのその父というだけあって、ソールズベリー伯もまた、やはり指揮官として非常に長(た)けていた。
自軍を退去しているように見せかけて、敵のランカスター軍に川を渡って進軍するように仕向けたのだ。
この作戦は見事に当たり、ランカスター側の多くの兵士は川の中で簡単に撃たれ、川は血で染まった。そんな時にランカスター側の総指揮官オードリー卿も戦死してしまい、こうなるとランカスター軍の戦意は一気に低迷、兵士達は強い軍に寝返るのが戦の常で、なんとランカスター派の兵がヨーク派に合流し、味方を攻撃し始めたのだ。ランカスター側の残りの4000人の兵士のうち500人が寝返ったというのだから驚きだ。
この戦闘では総勢3000人が死に、そのうちの2000人がランカスター派だったとのことで、またこの激しい戦によってこの川ではこの後3日間、水が血で染まっていたという。
総指揮官のオードリー卿を失った王妃マーガレットは逃亡する他なく、完全なる敗北に終わるかに見えたランカスター家であったが、これで勢いづいたヨーク側はこのまま勝利に向かってウスターという街へと進軍してしまう。だがそこになんとヘンリー6世の大軍が待っていたのだった。ヨーク派の軍は急いで自分達の城に引き返す。
そして10月12日、3回目の決戦が始まった。これがラドフォード橋の戦いで、ヨーク家のお膝元のラドロー城近くの橋で繰り広げられたのだが、この戦いではウォリック伯がカレーから派遣したアンドリュー・トロロープの部隊があろうことかランカスター側に寝返ってしまい、これが大きな引き金ともなりヨーク軍は敗北してしまったのだ。
薔薇戦争の中でもヨーク家が最大の損害を被ったと言われた戦争だった。なぜならこの敗北でヨーク派の一族はラドロー城からの逃亡を余儀なくされ、長年ヨーク家の子供達が幸福に暮らしていたラドロー城はランカスター派に略奪されるままとなる。ヨーク家の一族はセシリーが大切にしていた高価で貴重な家財も、今までの家族と平和に暮らしていた思い出も全てを捨てて急いで逃れるしかなかったのだ。
1459年の秋、ベアトリスやマーガレット達は、母セシリーや弟ジョージとリチャードと共に泣く泣く遠くへ逃れることとなった。
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