執着の対象
【執着】って聞くと、マイナスなイメージがありますよね。
意味を調べてもやはり、
*執着とは*
仏教において、事物に固執し、とらわれること。主に悪い意味で用いられ、修行の障害になる心の働きとする。
とあります。
これはHSPだから…とは限りませんが、私も【執着】しがちな人生でした。
私は物事でも人でも、ハマるとそれにとても真剣になり、100パーセント以上の力を注ごうとします。
基本的に自己肯定感が低く、どんな事も100パーセント以上の力で頑張らないと(自分には何もないから)人並みにならないと思っているので、好きなことや好きな人に対しては、より一層の努力とパワーを注ごうとするのです。
だから、自分に無理したり自分を犠牲にしたりして、その執着の対象を優先して動いてしまいます。
でも、例えば好きな人に【執着】してストーカー行為に及んだりとか、趣味に【執着】して借金するとか、そのような事には絶対になりません。
好きな人にストーカー行為をして、好きな人を困らせたり嫌な思いをさせて嫌われるなんて死ぬほど辛いし、
好きな事に没頭し過ぎて破産してしまったら好きな事できなくなってしまうし。
このように、どんなに【執着】していても冷静に考えられる自分は常にいたのです。
これは【執着】ではないのだろうか…。いや、でも苦しい思いをしていたし、それにとらわれて、心地よく生きることの妨げになっていたのは確かです。
そこで考えたのですが、
私は何に【執着】しているんだろう?
と。
私は、完璧な自分というものに【執着】していたのだと思います。
好きな人に嫌われないように、無理して自分を犠牲にし、相手の望む通りの人になろうと努力する。
好きな事を続ける為に、自分のやるべき事を完璧にこなして誰にも文句言わせないようにする。(例えば、事業として採算が取れないアロマ教室を続ける為に、資金面や家事育児等に夫の力を借りたりせず、4つの仕事を抱えて家事育児をこなし、資金を稼いでいました。)
完璧な自分に固執して、そのハードルはどこまでも上がっていくので、どんなに頑張っても完璧にはなれず、そんな自分を責めていました。
これは…苦しいですね。
私の【執着】の対象が分かり、それがある程度の【執着】であれば、「向上心のある頑張り屋さん」なのだから、
ある程度の【執着】は、悪い事ではないと感じます。
ある程度の【執着】ってなんだ?( ̄▽ ̄;)
要は、何でも程々に…って事になるのでしょうね。
最後に、
以前『その恋、ただの執着です』という本を読んだので、おすすめしておきます。
あたたかく優しい あとがき が好きでした♡