こんなそばに、こんな川が流れているのに

田舎で、勝手に見合いを画策した母親が、今度は家に来ることになった。実の息子をキツネが憑いていると言った母親が、列車に乗ってやってくるという。
僕の方から電話を掛けた折に、「ちょっとそっちに行くことにしたから」と言い出したのだ。また何かたくらんでいるのだろうか。
「駅まで迎えに行けるだろうか」と言うと、「仕事を辞めてからもう寝てるか起きてるかわからないようなヤツなのだから、来なくていい」と母親は電話の向こうで笑う。

それから数日経って、玄関のチャイムがしつこく鳴り続ける音で僕は目を覚ました。寝ぼけたまま這うようにして扉を開けると、母親が立っていた。僕の部屋の合鍵は持っているはずなのに。
「鳴らしつづけず入ってくればいいじゃないかよ」と言うと、「扉を開けて迎えられたかったから」と子どものようなことを言った。子どものようなことを言うので、母親の姿が逆に何だか年老いて見えた。こんなに年を取ってたかな、と僕は思った。どこから見てもばばあだった。紛れもなくばばあに見える。母親の方でもそういう風に感じるところがあるのだろうか。別に家に来たからと行って、しばらく前にうつ病になって働いてない息子の部屋ですることもなく、間が持たなくなって近くの川岸の公園に行くことになった。

ペットボトルのお茶を買ってベンチに腰掛けると、しみじみと母親は言った。
「さっきあんたがコンビニでお茶を買うのを見ていたら、誰だろうこのおやじは、と思ったわ」とそんなことを言う。
ちいさくてかわいい子だったのに、かしこかったんで全然手が掛らなかったけど、それがいけんかったんじゃろうか、とそんなことまで言った。
「周りのどの子よりも早く言葉を喋るようになったし、あれは山よって教えたら、すぐ山と言えるようになった。頭の回転も速くて、おじいさんの禿げた頭を指さして、おじいさんはツルツルだから二千年生きるね、とか二歳ぐらいで言っとった。エエ服着せたら色が白うてよう似合っとって」と言われても、僕は何と言っていいかわからない。
「あのかわいくてかしこかった子が、どこで間違えたのか、こんなおやじになるなんて」と言って僕のことを見た。じっくりと目を覗き込むように見て、突然笑い出した。
「まあでも、キツネが憑いとるような顔じゃあ無くなったね」と言って、それから川の方を見て、「いい天気」とだけ言い、お茶を飲みだした。しばらく二人並んで座ったまま、黙って川を見ていた。

僕ら親子の前を、川が静かに流れている。京橋川と言って、毛利の殿様が京に向かう為に架けた橋が、そのままその橋を架けた川の名前になっている。

どこで間違えたのか、と言えば、母も尾道の貿易商の娘として、何不自由のない一生を送るはずだったのに、祖父が騙されて貿易商が潰れてから、母の人生は変わってしまった。
あわてて何もわからぬまま結婚させられた母は、僕の父親のような男と結婚してしまった。家では自己中心的に振舞いながらも、外にでればずっと鴨にされつづけた男。はじめは不動産登記で儲けようとし、次には健康食品などのマルチに手を出し、似た者同士で、ずっと自分を猫可愛がりしてくれていた母親(祖母)が亡くなったショックから、最終的にはカルト宗教にまでのめり込んでしまった男。
勤めている職場の人間とは口を利かず、自分は国立大の法学部出身(隠しているが二部の夜間だ)だと、会計士や税理士や司法書士になりたがったが、おそらく口実のように勉強していただけの男。僕から見れば、本当にやるべきことからずっと逃げつづけてきた男のように見える。

そんな男と関わってしまった母の人生は、いったいなんだったのだろうと思う。僕がいなければ、そんな男とはそうそうに手を切って、自分の人生を生きられたのではないかとも。

どこかの木の上で、鳥が鳴いているのが聞こえる。川にはたくさんの水が流れていて、いったいどれくらいの水がここにはあるのだろうと僕は思う。川は緩やかに曲がりつつ、河口に向かって川幅を拡げている。

「結局、あれからお父さんのところには行ったの」と母親は言った。
「まだ、行っていない」と僕は言った。
大学まで行かせてやったのに、まだわしから金をせびろうと言うのか、と言われたとは、僕が大学生の頃に父親とは離婚をして、別の家庭を持っている母親には言うことが出来なかった。母親は何か言いたそうにしていたが、どういうべきか迷って、結局「そう」とだけ言った。
波と太陽と光の加減か、川の水面はきれいに輝いていた。

駅まで送ると、改札で母親は、子どものような手の振り方をして、ホームへと向かうエスカレーターに乗り、やがて見えなくなった。

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