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老いという第二の思春期どう乗り越える?(藤村公洋)
哀しみの含有量
アナタは映画メシ探偵としてどんな作品に、どんなご飯シーンにもっとも創作意欲をかき立てられるのかと問われれば、それは「哀しみ」の含有量が多いモノという答えになる。
幸福でイノセントで開放的なご飯シーン(含有量20%以下)よりも、どんより薄暗く重い荷物を背負ったようなご飯シーン(同75%以上)のほうがずっと「作ってみたい」とウズウズしてくるのですよ。人の不幸は蜜の味、といった野次馬根性ではございませんぞ。それはなんと言うか、いわば共感のようなもの。他人事でなく、そこに自分がいると感じたときに映画メシレーダーが動くのですよ。映画の中で哀しみを湛えた登場人物がつまらなそうにメシを食う、仕方なく食う、その姿に既視感にも似た共感を覚えるのです。あゝ、僕もこうやって食べたことがあるな。食欲をもよおすこと自体が不本意で屈辱的だと感じた夜が何度もあったなと。だから僕にとっての映画メシとは実のところ自分を抱きしめる行為とも言えるのかもしれない。
まあそれはともかく、哀しみ含有量75%以上の作品にはスープがよく登場するのですよ。それも魚のアラ、もしくは羊の骨で出汁をひく塩味のスープね。食材的に僕はどちらかといえば南方よりは北の物語に惹かれるみたい。
今回放送で取り上げたロシア映画『grace』もまたそんな映画メシ的萌え度の高い作品でございました。荒野をひた走る赤いワゴン。砂漠に現れるオアシスのような食堂。娼婦。路傍の古本売り。ショッピングセンター。魚と羊。
ところで、斉藤由貴のCMでお馴染み「青春という名のラーメン」が再発売されたそうですが、それにちなんで今回の映画メシは「絶望という名のスープ」と呼ぼうかしら。あの頃、’84年にあっては青春と絶望ってだいたい同じ意味だった気がするしね。粉雪舞う中で斉藤由貴がカメラに向かって「ぜつぼう、ください」って呟いたとしてもおかしくなかったでしょ。「胸さわぎ」とたいして変わらん。あぁ、青春のいじわる。
といったわけで青春という名の編集後記、はじまりはじまり〜。
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