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【既刊紹介】僕らだって扉くらい開けられる
■内容紹介
さわらずに物を動かせる! ……ただし10cmだけ
相手を金縛りにできる! ……でも力を使うほどハゲる
目を見ると心が読める! ……でも他人の目が怖くて見られない etc…
こんな役に立たない能力、なくてもよくない??
ある日突然、不思議な力に目覚めてしまった五人。
悪戦苦闘しながら能力と向き合ううちに、
さえない毎日が、思いもよらない方向に転がりだし――。
「どんなに微力でふがいない人たちだって、力を合わせれば世界は変わる。
ちりばめられたさまざまなピースが最後にかっちりハマる、
行成さんらしさの詰まった優しくて愛らしいエンタメワールド。」
――瀧井朝世さん
小説すばる新人賞作家が贈る、驚き満載、爽快感120%の傑作長編小説!
僕の作品の中では、わりと内容紹介が簡単だったんじゃないかと思います。使い道のあまりない超能力を持ってしまった一般人があんなことやこんなことをするお話です。「透明になって女湯を覗く」「時間を止める」などのアレな話はありませんので、未成年の方もご安心ください。
■小説すばる、cakesで連載をさせていただいた
本作のとっかかりは、2016年の2月に小説すばる上に寄稿させていただいた、「テレキネシスの使い方」という短編でございました。「片手で持ち上げられる程度の大きさのものを、右に10cmだけ動かすことができる」という念動力(テレキネシス)の能力を持った青年・今村のお話。
役に立たない超能力を持ってしまった超能力者の悲喜こもごもを書く、というコンセプトはこの短編のお話を頂いた時に出来上がっておりまして、不定期連載という形で「パラライザー金田」「パイロキネシスはピッツァを焼けるか」「ドキドキ・サイコメトリー」「目は口ほどにものを言う」の計5作品を小説すばる誌上に掲載していただきました。
その後、表題作となる「僕らだって扉くらい開けられる」を書き加えた段階でcakesでの連載が決まり、異なる媒体で二度連載をするという経緯があって刊行に至った作品です。
↓↓↓ cakesの連載記事はこちら ↓↓↓
■超能力とは何か
さて、本作では下記のような超能力が登場します。
・念動力(テレキネシス):物体に触れずに動かす力
・金縛り(パラライズ):人の動きを止める
・発火能力(パイロキネシス):念の力で火を起こす
・精神測定能力(サイコメトリー):物体の残留思念を読み取る
・読心術(マインドリーディング):人の思考を読み取る
・精神感応(テレパシー):声に出さずに意思の伝達をする
・遠隔透視能力(リモートビューイング):遠くにあるものを透視する
・予知(プリコグニション):未来に起こることをあらかじめ知る
どれも実際に備わっていたらいろいろ使えそうな能力ですが、本作の中では、どの能力にも、制約があったり、コントロールができなかったりして、能力者に対して恩恵を与えてくれるものではありません。むしろ、こんな能力はなくてもいいのではないだろうか、というものばかり。
作中登場人物たちは、みんな「自分の存在意義」に不安を持つ人ばかりです。自分は、人の役に立っているのだろうか。いてもいなくても同じなのではないか。誰かのためになりたい。誰かに認めて欲しい。そういう渇望を持つがゆえに、自らが持つ「役に立たない超能力」に辟易します。せっかく人と違う能力を持っているのに、どうしてこんなに役立たずなんだ、と。
なので、今作における超能力は、「念」というものをキーワードにしました。念とは、つまり「強い思い」。なにかに対する執着であったり願望であったり、そういうものが能力として発露する、という設定になっています。
「超能力者」というと、「エスパー」という語が一般的だと思うのですが、これはESP(Extrasensory Perception)能力者のこと(ESPer)を指します。ESP能力とは、透視や霊視のような「超感覚的知覚」のことで、「人より違ったことができてしまう」というわりと受け身な印象を受ける言葉だったので、今作では「サイキック(psychic)」という語を使うことにしました。サイキックという語には、「psy-」の接頭辞がある通り、「精神的な」という、心の動き、人の想い、念を表す概念が含まれています。
なお、各能力については、作中作である「~あなたにもある力~超能力入門」で、真実半分ウソ半分の解説をしておりますので、よろしければそちらもぜひ。
■超能力は誰でも持っている
超能力というと、とんでもない力のようにも聞こえますが、本作に登場するような、「役に立たない超能力」くらいのものは、誰でも持っているのではないかな、と思います。
例えば、腋の下で音を鳴らして音楽を奏でるとか、指の第二関節だけ曲げられるとか。そういう、人ができないちょっとしたことができる、というくらいの「超能力」は、きっとみなさんもひとつくらいなにか持っているのではないでしょうか。
僕自身、こうして「話を一から作って、小説を書く」というちょっとした「超能力」があって本を出させていただけるようになったのですが、もし、この仕事に出会わなかったら、こんな能力は社会人生活の中においてはまったく何の役にも立たないものでした。
でも、役に立たない能力は、どこかで開花するのを待っている能力ということでもあります。誰かの助けになるかもしれませんし、世界を救うかもしれない。規模の大小はあれど、この世界に「役に立たない」人なんていない。本作には、そういう思いを込めたつもりでいます。
■自分が「役立たず」だと思ってしまっている人へ
なんか、僕はあんまりこう「みなさんにエールを送ります!」みたいな人間ではないのですが、本作は、読んだかたが元気になってくれたらいいな、と思いながら書いた作品でもあります。
僕も会社員生活をしていた人間ですので、組織を前にしたときの無力感とか、自分がいなくても世界が回っていく感じとか、そういう感覚を日々受けて、存在意義というものを見失いかけてたのではないかなと思います。正直、それは小説を書くようになった今もあまり変わらないのですけれども。
だから、今作では、どんでん返しだとか物語の意外性とか、そういった小説の技法的な面白さはとりあえずおいて、物語を読み終わった後の軽快さ、すっきり感を大切にしよう、と思いました。
物語はどの話も、変な方向にはいかないようにしてあります。疲れている時に、紅茶でも飲んでほっとする、という感覚で読んでいただけたらいいなと思います。そして、「僕らだって、扉くらいは開けられるんだな」と思っていただけたら、作者冥利に尽きる、という感じです。
もし「超能力」があったら、どんなのがいいですかね。野鳥と会話する能力が欲しいな、と、窓の外を見ながら思ってしまったのは、心が病んでいる証拠でしょうか。気をつけよう。
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