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【第5回】あなたはどっち?「全能神型作家」「憑依型作家」

 ここ最近は読者の方からの質問に頼り切りであったモノカキTIPSですけれども、今回はいつもの形式に戻りまして、僕が経験したことを元にしたお話でございます。
 さて、物語を作るにあたっては作家それぞれいろいろ種々様々で、あまりこう固定化された作り方はない、ということを申し上げてきたのですけれども、ある一部分にフォーカスすると、結構作家を大別できるのではないか、というものもあります。

 今回は、「全能神型」「憑依型」という、登場人物の描き出し方の大きな分類についてお話してみようかなあと思います。

 果たして、あなたの執筆スタイルはどちらでしょう。一緒に考えながら読んでいただけると面白いんじゃないかなと思います。

■「全能神型」「憑依型」とは?

 さて、キャラクター造形における「全能神型」「憑依型」とは、どういうものでしょう。いろいろな作家さんに、自分の小説に出てくるキャラクターの造形をどうしているか、というお話を聞いてみると、ざっくり二つに分けられるかなと思うのです。

 まずは、「全能神型」。これは、小説を書き始める前に、キャラクターの設定、性格、容姿、癖や個性、出自などのバックグラウンドを緻密に組み上げてから物語を書き始めていくタイプの作家さん。

 存在しない人間を一から作り上げてしまい、その作り上げた人間を巧みに操りながらストーリーを組み立てていくので、ストーリー中のキャラクターから見れば、全能の神のようなポジションにいることになります。作品世界やプロットをきっちりと作り込み、ロジカルに小説を書く作家さんに多い印象ですね。某有名作家さんなどは、登場人物のキャスト表(現実の俳優さんなどを役に当てはめる)やプロフィールまで作って、きっちりと人物像を造形してから書き出すそうな。すごい。でもそのやり方も楽しそう。

 「全能神型」の一番の利点は、作品の冒頭から最後までキャラクターがブレないことですね。そして、キャラクターはストーリーの展開に必要な性格、行動原理を持っていればよいので、ストーリー重視でキャラクターを造形することができることですかねえ。

 対する「憑依型」は、あまりガチガチにキャラクターの設定を作らずに、まるでイタコの如く自らにキャラクターを憑依させ、その人物になりきって自分の主観のようにキャラクターを動かしていくタイプの作家さん。男でも女でも、老人でも子供でも、あらゆるキャラクターの視点で世界を見ながら、ある程度設定した人物像を元に、キャラクターがどう動くかを想像しながらストーリーを作ることができます。

 「憑依型」の利点は、キャラクター個々の視点に立って細やかな描写ができたり、視点人物によって文体や描写のクセを変えたりなど、トリッキーな表現ができること。そして、時にキャラクター先行で物語が動くので、当初のプロットを超越したケミストリーが発生すること、なんかがあると思います。

■「憑依型作家」、失笑されがち問題

 ちょっと余談になるんですけども、この「憑依型」という作家さんの中には、プロアマ問わず、表現が若干独特な方がいらっしゃいまして、よく聞くのが「キャラクターが勝手に動いた」「私の頭の中で彼らは生きている」など、一般人にはややファンタジックに思える表現。

 いやね、役者さんでもそうですけど、「憑依型」というと、なんかこう天才肌といいますか、アーティスティックな感じがしますし、多くの人が創作というものに目覚め始める思春期の時期ですと、これが非常に中二病患者の心をくすぐるわけでして。つい言いたくなりがち。

 でも、「全能神型」のキャラ造形をされる作家さんの中には、この「キャラが勝手に動く」という現象が理解できない(または、当然別の現象だと考えている)方もおられるようで、「んなわけねえだろ」と、失笑されがちだったりします。なんかちょっと、アレぶっちゃってさ。みたいな。

 特に、緻密なストーリー構成が求められる分野なんかですとキャラに勝手なことをされたら困るわけで、作家自身がタクトを持って、確実にストーリーに嵌るようにキャラを造形しなくてはいけないので、なおさら、この「憑依型作家」というのが「プロットをきっちり立てられない、行き当たりばったり作家」に見えてしまうんだと思うんですよね。なんかこう、「俺は人とは違う」アピールをしているように見えるというのもあるかもしれません。

 とはいえ、僕自身はというと、たぶん分類的には「憑依型」になるんだと思うんですよ。他の作家さんのお話を聞いていると、結構「憑依型」に分類できる作家さんも多い気がしまして、両方の素養を持った「ハイブリッド型」の作家さんも含めると、たぶん全体的には「憑依型」の作家さんの方が多いんじゃないかな?と思うくらい。

■実際、どうなのか

 ここからは僕の持論なんですけども、「全能神型」「憑依型」というのは、「論理型」「感性型」の差ではないと思うんですよ。これはですね、キャラクターという一つのモデルを、頭の中でどう動かしているのか、という違いな気がします。

 「全能神型」というのは、言い換えれば「プログラマー型」だと思うのです。プログラマーは、プログラミングコードを書いて、それが正しく動くようにするのがお仕事。キャラクターモデルを動かすときは、「右手を上げなさい」「あの人の後をつけなさい」「怒りに任せて殺しなさい」など、コマンドを与えてキャラクターを動かします。キャラクターが正しく動いてくれないとストーリーという名のプログラムが最後まで意図通りに動作しないので、想定通りにきっちりと動いてくれるように、動かす前にモデルの細かな設定をします。

 対して「憑依型」は「シミュレーター型」で、まずは環境変数や物理演算プログラムといった動作環境を整えた後、ある程度ざっくりとしたキャラ設定を与えたモデルを動かしてみて、想定した環境の中でどう動くか、をシミュレートするタイプ。この、想像の中でモデルの動きをシミュレートしていることが、「頭の中でキャラが勝手に動く」現象の正体なんじゃないかと。

 モデルは当初の想定とは違う動きをすることもあって、それがかえって面白い時は、プロットを書き換えてストーリーに組み込むこともあります。逆に、ストーリーの大枠から逸脱しまくったり、全然動いてくれない場合などは、モデルが動くようにキャラクターの性格だったり背景だったりを追加・変更していって、ストーリーもキャラクターも動かしながら組み上げていってるんじゃないかなと思うんですよね。

 なので、両方のやり方に一長一短あると思います。でもおおよそこの二つの型をベースに、どちらかが強く出たり、あるいは意図的に使い分けたり、と、作家によっていろいろなスタイルに発展していくんだと思いますね。
 僕もね、二つの型を使い分けられたらいいとも思いますけど、ジャンルによってはどちらかに特化した方がいい場合もあるかもしれないですね。作家本人のものの見方によっても、どちらの傾向が強く出るか、というのが変わってくると思いますので、人それぞれ差が出る面白い部分じゃないかなあ。

■「憑依型」の実感

 僕はどちらかというと「憑依型」というのは前述の通りですけれども、逆に「全能神型」になるのが苦手なタイプかなと思います。さすがに、プロ作家になってからはちゃんとプロットを立てたり、キャラクター設定を考えたりするんですけど、それでも、僕の小説はキャラクター同士の会話文で物語を動かしていくスタイルなので、書きながら、登場人物たちの掛け合いを見て最終的なキャラクターの性格などを決めていっています。

 なかなかね、こういう感覚がわからない人もいると思うんですけど、僕は「キャラクターが勝手にしゃべる」みたいな話はわからんでもないなあ、と思うんですよね。書いているうちに、自分が意図していなかったセリフが、ぽん、と出てくることがあるもんでですね。

 もちろん、そのセリフを書いているのは僕で、僕にその時キャラクターが乗り移っているわけではないですし、イタコの如く「おいでませ!」と作中人物を自分に降ろしているわけじゃないんですけども。
 ただ、書きながらキャラクターの性格やキャラクター同士の掛け合いが出来上がってくると、こっちもあまりセリフを意図せずに、リズムで書けちゃったりするようになるんだと思うんですよね。そこで、ぽん、と出てきたセリフが、案外、物語の肝になったり、自分の書きたかったことを端的に表現してくれたりします。

 拙著『名も無き世界のエンドロール』で、主人公キダとその親友マコトは「プロポーズ大作戦」なる作戦を計画し、物語を通じてその計画を遂行していくのですけれども、クライマックスでマコトがその計画の真意をキダに告げるシーンがあります。そこで出てきた、あるセリフ(たぶん読んでくださった人はわかるかな)は、僕が書き始めの頃はまったく意図していなかったセリフで、でも、そのセリフがあったことであの物語は成立しましたし、たぶんその一文がなかったら新人賞も獲れていなかった、映画にもなっていなかったんじゃないか、と思うんですよね。そういう一文がキャラクターの口から出て来た時は、脳汁がぶわわと噴き出してくる感じがします。

 あと、作品について編集さんとお話をしている時なんかは、僕はよく「〇〇(キャラ名)は、こう感じてるんだと思うんですよね」「こういうセリフは言わないと思うんですよね」と、まるで他人事のように表現していることが多かったりします。これもね、「私の中でキャラが生きている」んじゃなくて、頭の中でモデルの動きをシミュレートしながら話している結果だと思うんですけども、このシミュレーターを持たない人と喋ると、わりとスピリチュアルなことを言っているように見えるのかもしれません。ちなみに、僕はスピリチュアルなものは一切信じないタイプの人間ですがね。


 理想を言えばね、「全能神型」で、書く前から、肝となる一文まですべてを見通し、作為的に書けるようになればいいんだと思うんですけど、そうなると僕にとっては設定までが創作のすべてで、執筆はただの作業と感じてしまうんじゃないかなあ、自分的な執筆の楽しさは失われてしまうかもしれないなあ、なんて思います。

 あの、キャラクターが僕の心を代弁してくれたかのような一文が出てきた瞬間の脳汁プシャー、が楽しくて小説を書いてるようなものなので、まあ、人それぞれスタイルはあるでしょうし、僕もある程度使い分けしながら書いていくんだとは思いますけど、僕はこの「憑依型」の書き方は大事にしていこうかなと思っておりますね。

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というわけで、今回は「全能神型」「憑依型」についてのお話でした。いかがでしたかね。こういったことも意識してみると、キャラをどう作るか、プロットをどう立てるか、などの「自分スタイル」確立の役に立つんじゃないかなあと思います。


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 新刊『KILLTASK』もよろしくおねがいしまーす。

小説家。2012年「名も無き世界のエンドロール」で第25回小説すばる新人賞を受賞し、デビュー。仙台出身。ちくちくと小説を書いております。■お仕事のご依頼などこちら→ loudspirits-offer@yahoo.co.jp