土用の牛の日
■2019/07/27 テーマ「土用の丑の日」
恐怖で震える体を押さえながら、僕は誰もいない廊下を走っていた。だが、銃で撃ち抜かれた脚の激痛で、思うように動けない。ひたひたと、こちらに向かってくる足音が聞こえる。消音器付きの拳銃を携えた暗殺者。研究施設で一人作業をしていた僕に、いきなり発砲してきた。初弾はそれたが、慌てて逃げたところ、後ろから太腿を撃たれた。血が止まらないし、もうだめかもしれない。
「観念したか」
「僕が何をしたって言うんだ」
「邪魔なんだよ、君は」
男が、座り込んだ僕に一冊の雑誌を投げてよこした。僕の研究が掲載された雑誌だ。かなり後ろに小さい記事が載っただけなのだが。
――ウナギ完全養殖、実用化へ
僕の研究は、ウナギの完全養殖技術の実用化だ。
ニホンウナギが絶滅危惧種のレッドリストに載った頃、完全養殖技術は盛んに研究されていた。ウナギはまず孵化させることが至難の業で、その後は孵化した幼生を幼魚であるシラスウナギにまで育てるのが難問だった。深海で生まれていると思われる幼生や稚魚の餌が何なのか、わからなかったからだ。
だが、ある研究機関が、「卵から孵化させた個体がやがて卵を産み、その卵からまた新たな個体を孵化させる」という完全養殖に、四十年がかりで成功した。ウナギの絶滅を防げるかもしれない。そんな期待感が高まったが、研究はそこから長く行き詰まった。養殖には莫大な金がかかるのだ。廉価な餌の開発もうまくいかず、せっかくの完全養殖技術は実用化になかなか至らなかった。
その間も、鰻は消費され続けた。少し前からニホンウナギは日本の河川から完全に姿を消し、ヨーロッパウナギもほぼ絶滅ラインまで数を減らした。それでも、今度は東南アジアからビカーラ種を輸入し、これもあらかた食い尽くした。世界からウナギがいなくなってしまう。そう警鐘が鳴らされたのにもかかわらず、日本人は鰻を食うのを止めなかった。
――土用の丑の日。
一旦、「鰻を食べる」ことが恒例になると、人は何故かブレーキが利かなくなる。消費者は「だって毎年のことだから」と何も考えないし、その消費者を狙って企業は儲けに走る。その企業の需要を満たすために、密漁や乱獲がはびこった。鰻が完全に手に入らなくなってからようやく、「夏の土用の丑の日に鰻を食う」という習慣はなくなった。養鰻業者やうなぎ屋も軒並み廃業し、日本から鰻は消えた。ウナギという種は、壊滅状態だった。
世間が鰻を忘れていく中、僕は寄付を募りながら細々と研究を続け、量産化に向けたウナギ養殖技術をついに開発した。歩留まりは、稚魚から養殖したのと同じくらいだ。自然界に放流を続ければ、いずれは天然個体も回復するかもしれない。なのに。
「僕の研究を盗むつもりなのか」
男は笑って、首を横に振った。
「この世界に、鰻はもう必要ないんだよ」
「必要ない? そんなバカな」
「今年からな、新しい概念を作るのさ」
――土用の“牛”の日。
夏の土用の丑の日には、美味しくて量産可能な和牛料理を! 官民共同で大々的に新しいキャンペーンを打つ準備が進んでいる中、鰻の復活は邪魔だということらしい。
香ばしく焼ける鰻の香りを思い出しながら、僕は目を閉じた。もう、「土用の丑の日」は戻ってこない。ふっくらとした鰻に舌鼓を打つことも、二度とないのだ。