繋ぐ
おはようございます。きょうも書いていきます。
千葉の被災について。まずはじめに言っておくと、今回の台風による千葉の被災状況について、僕は詳しくはない。それは、ニュースやまとめサイトの方が詳しいだろうし、どれだけ甚大なのかということなどは、言及しない。そのうえで、何ができるかという話がしたい。
第一報はTwitterのタイムラインだった。小説家の平野啓一郎さんがツイートしているのを見て、はじめはいつもよくある、遠い自分とは何の関係もない出来事だと思っていた。しばらくして、Yahoo!あたりが災害支援金を募る。それに募金して、あとはSNSでそれを発表するかしないか迷う、そんな程度に感じていた。
しかし、すこし考えて、千葉に知人が最近引っ越したのを思い出した。流れてくるニュースをめくっていくと、越した先の地域の名が目についた。LINEで連絡を取ってみることにした。「大丈夫?」とかそんな程度だったと思う。
それからしばらくして、現地の写真と、状況について書かれたメッセージが送られてきた。写真はどこのサイトにも上がっていない、強調さの削がれたのが逆に生々しいもので、書いてある状況も、タイムラインで見かけるものとは違っていた。思っているよりも深刻なんだな、と感じた。
「なにかできることはある?」と訊いたが、それはあまり無さそうだった。知人は病院に勤めているので、物資は揃っていて、今も働いているとのことだった。「Twitterで拡げるね」と言うと「館山の方が大変だから、そのことを」と教えてくれた。
知人とやりとりするなかで、あることを思い出していた。3.11のとき、僕は中国にいて直接被災しなかった。でも家族は日本に帰っていて、心配をしてくれた中国のアイさん(お手伝いさんのような人)が、電話をかけてきて、僕に喚き散らした。アイさんはあまりに慌てていたので、北京なまりの発音が抑えられず、僕はまったく聞き取れなかった。
そのときのことがいまでも忘れられない。人が自分を超え、家族を超えて、心配することへの敬いが、僕の中にはある。普段、アイさんと僕は電話をすることはなかったし、話すことも稀だった。でもあのときライフラインのように繋がった。それが長い時間をかけて、心に伝わってきたように思う。
だから、たぶん僕も連絡を取ることにした。もしかしたら、忙しくて迷惑になるかもしれない。それどころではないかもしれない。それでも繋がったらと思う。今この瞬間に役には立たなくても、できることはあるのではないかと思う。
いまでも現地は大変なようだ。だいぶ報道がなされて、救援に向かっている人のニュースも見る。僕はあまり全体的なことは考えられないけど、まず、思い浮かぶ自分と近い人に、連絡を取るのを勧めたい。何もできなくても、伝わるものはある。うまく話せなくても、きっと残ると思う。
きょうも読んでくださって、ありがとうございました。よい一日をおすごしください。