みんなのポジション
おはようございます。きょうも書いていきます。
任天堂の元社長、岩田聡さんの本『岩田さん』を読んでいて、興味深い一節があった。生き物は「わたしという個は、他の個よりも優れています」と、アピールをして生き残ってきたという話だ。あくまでも岩田さんの説ということだが、納得感があり、どこかやましい気持ちになる。
岩田さん自身は、この『岩田さん』という本の中でも、宮本茂さんを褒めていたり、糸井重里さんを褒めていたり、「わたし」という感じをおくびにも出さないが、この「わたし」との闘い、葛藤は、いつの時代を生きるにしろ重要な視点だと感じる。
おそらく(とは言ってもほぼ確実に)太古から「わたし」の話は似たように続いてきたのだと思う。この点については進化を遂げていないといえよう。生存確率が高いものが生き残り、子孫を残せる、といった絶対公式である。そのため、いかに「わたし」と付き合うと可能性が高まるかということを、常にアピールしてきた。それは盛りあがった筋肉から(もしくは豊満な脂肪から)はじまったのかもしれない。
そしていま、「わたし」のアピール源は迷っている。資産を持っているのが個として優秀なのか、年収なのか、フォロワーなのか(やはり筋肉なのか)判断は難しい。そのなかで、どうしても「わたし」が優れていることを主張したくなって、ついポジションを取りにいってしまう。
岩田さんは本の中で、「みんな、都合よく、自分の得意なことと、人の不得意なことをつい比較してしまう」ので「会社全体のことを考えるときには、こういうふうに考えて、こういう軸で比較や評価をしていきましょう」と、共通認識を持つと述べている。これは「わたし」ではなく「みんな」のポジションを取る、ということだ。
ここから一つ学べるのは、「みんな」のポジションを考える人は、全体の生存率を上げられる可能性が高いということである。岩田さんは「わたし」を率先してなくすことで、誰よりも優れていることを証明していたのだろう。
きょうも読んでくださって、ありがとうございました。よい一日をおすごしください。