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挑戦と王者

おはようございます。きょうも書いていきます。

ラグビーの日本代表戦は、得も言われぬ余韻をのこした。僕はラグビーは好きだ。父が学生時代にラグビーをやっていたので、その影響で、小さい頃からよく観戦に行った。菅平の練習にも足を運んだ。(ラガーメンと、ミシュランのタイヤと、100円玉をいれるルーレットうらない、が記憶にある。)

残念なことに体格も性格も、僕は全くラグビーに不向きであったが、観ていてどっちが強そうとか、どういう戦い方をしているなどは少しだけわかる。それで、今回のワールドカップを観ていて思ったのが、日本はこの世界の壁をどう超えていくのだろうか、という絶望に近い希望と、観戦する自分たちは、いつまでも弱者が強者に挑むストーリーを好んでいてよいのか、という疑問だ。

ちょっとシラけるかもしれないが、日本が自国に不利なスポーツに熱狂するのは、特有の、負けへの美学があると思う。小さき者が巨人を打ち倒す、もしくは勝てず足掻き苦しむ、といったストーリーを、心のどこかでは求めているのではないか。もちろんそれは可笑しなことでも、悪いことでも決してない。

だが一方で、勝ちを欲するなら、肯定を欲するならば、取るべく戦略というものがあると思う。それは大袈裟にいえば、国策なのかもしれない。自国に有利な競技に力を入れる。都合のいいルールを作る。スポーツまで作る。そういった動きまでがあってもよいのではないか。(韓国のショートトラックや柔道の国際ルール変更が脳裡に浮かぶ。)

常に挑戦者の立場を取り、負けてやむなしという美学は好きだ。しかしどこかで、絶対王者の日本も観てみたい気もする。それこそ努力の先にしかないのだ、という主張もわかるが、どの競技を選択するかであったり、どんなルール制定をするかで決まる(しかも大きく)という点も、見過ごしてはならないと思う。

とまれ日本代表はカッコよかった。それは文句なしだ。堀江選手と稲垣選手のファンになった。

今日も読んでくださってありがとうございました。よい一日をおすごしください。

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吉澤 馨
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