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歴10年

おはようございます。きょうも書いていきます。

もうすぐツイッターをはじめて10年が経つらしい。確か記憶では2009年の終わり頃から日本でも流行しはじめたので、そのときに登録した人たちはみな一様に10周年を迎えるのだろう。そして、この10年の間に使う人も使い方も変わっていったように思う。

僕は2009年から2012年は中国にいたので、ツイッターの初期を知らない。日本に一時帰国したときに登録して、そのまま放置していたので、その当時どのような様子で、タイムラインが流れていたかわからない。一つだけ印象に残っているのは、2011年の震災のときに重要なライフラインとして役割を果たしたというのを、ツイッタージャパンの人たちが強調していたことだ。

そのあとはフェイスブックに押され、インスタグラムに押され、(ピンタレストやタンブラーというのもあった)、ユーチューブ(グーグルプラス)に押されたりしながら、なんとか凌いできたツイッター。やがて2017年頃からビジネスシーンの人たちから再注目を集め、復活を遂げる。あくまでどれも日本での出来事であるが、なぜこのような変化が起きるのかが、興味深い。

一つのキーワードとして「日本人の社会性」ということが挙げられるように思う。2010年代を振り返ったとき、日本が閉鎖的な組織や体制から抜け出す転換期であったと、後から言えるかもしれない。もちろんまだ十分に変化を遂げてはいない。しかしながら、徐々に興味の対象が「私」から「公」に、移り変わったことが、先の復活の裏づけになるのではないか。

翻って、遅れているというのも事実だ。前述のライフラインの「特例」のように、そもそも「ソーシャル」の使い方を日本人がわかっていない、ということが指摘できるだろう。ソーシャルメディアを使っているからソーシャルなのではなく、ソーシャルに使うからソーシャルメディアなのである。この順序がわからず「公」的に使っても「私」的な内容から離れない人も多い。

メディアでメッセージを変えられるか。歴10年の成果がいま問われている。

きょうも読んでくださって、ありがとうございました。よい一日をおすごしください。

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