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孤立から孤独へ

おはようございます。

最近は起きると、締まるような寒さですね。さて、今日も書いていきます。

格闘はつづく。以前からここでも書いている孤独について、依然として考えている。昨晩、数月に一度訪れるカウンセラー(コーチと表現してもいい)との対話で、アドバイスをもらった。「それは孤独ではなく、孤立です」

孤独と孤立の何が違うか、自分なりに考えてみた。おそらく孤独とは、集団の中にいるから成り立つ表現なのだ。「独り」というのは、複数の中にいるからこそ、際立つのである。そして孤立とは、複数とは無縁の存在である。

個として生きていくとか、他人と触れ合ったり、馴れ合うのが面倒くさいとか、色々言ってはいるものの、どうやら「独り」には成れていないらしい。それは結構、ショッキングな気づきだった。

他人と一定の距離を保つことで、心の琴線に触れられる不安を排除できる。だがそれを個として安定した状態だと、置き換えてはいけないようだ。むしろ距離を伸縮するなかで安定を得ることが、望ましいようである。

思えば自転車の車輪も動いているから安定する。仕事も変化しているから安定する。その場に留まった時点で、硬直化して、淀み、廃れて、気づけば使いものにならない。これに似た反省を、前にもした。

もっと内側に入っていかなければならない。集団の中で揉まれ、感情を揺さぶり合いながら、そのなかで独りになる。その強さを得なければならない。

最近の状態が気に入っていただけに、そのアドバイスは僕にとって、あまり受け入れたくないものだった。だが、他人から見て錆びているならば、それは錆びているのだろう。動かなければ、その錆びが進行することは知っている。

揉まれるなかで孤独を獲得するというのが、今年のテーマになりそうだ。正直、腰は重い。だがリングに上がらなければ、格闘にもならないのだ。

きょうも読んでくださってありがとうございました。よい一日を、おすごしください。

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吉澤 馨
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