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とりあえず

おはようございます。きょうも書いていきます。

微妙に合っているけれど微妙に違う。Spotifyの感想である。Spotifyのみならず、巷のサブスクリプションサービスに、そのような感想を抱く人は、いるのではないか。コンテンツが安っぽくなった、と感じるのも起源は同じだろう。なぜ安っぽく感じるのか。それは、選択するはずの者が、選ばず、金銭を払わないからである。

おそろしいことに、時間がありあまる世の中になった。その余った時間を、サブスクリプションで消費する。消化試合の様なものだ。そこに金をかける必要はなく、雑多なもので構わない。とりあえずあればなんかつまむから、程度の好みである。

この、とりあえずなんか、とりあえずあのあたり、というのが、どうもキナ臭い。とりあえずあればいい。環境音やBGMほどの有り難さはないが、とはいえまったく場違いな音楽だと困る。ほんの少し、いや、それ相応の、おしゃれさは求めたい。絶妙な隙間に、サブスクリプションのコンテンツたちは、嵌まっていくのである。

不思議なのは、コンテンツ単体での他意はなく、試しになにかひとつ取り上げて、お金を投じてみれば、気分は変わるのである。供給側による選別もあるだろうが、そこはやはり自分たちの気持ち一つで、そのものの質や、有り難みをあらためて、感じられるということなのだろうか。ではあくまでも需要側の責任が大きいのか。

不安定で曖昧で優柔不断な心中にお互いが漬けこんでしまったのだ。あるだろう、なんかわからなくて、とりあえずが口癖な、年中モヤモヤしてる人のところなら、自分は肯定されるかもしれない、そのぼんやりとした組み合わせ、噛み合わせが、心地よい感じ。それが冒頭の微妙に合っているけれど微妙に違う感覚と一致する。

つまりサブスクリプションは、とりあえずな、居場所なんである。とりあえず寄るバー、カフェあたりに近いのではないか。(そしてそのバーやカフェではSpotifyがかかっていそうである。)

きょうも読んでくださりありがとうございました。よい一日をおすごしください。

サポートありがとうございます。