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土地を理解する

おはようございます。きょうも書いていきます。

新しい年度なので、あらためてこのnoteについて考えてみたい。僕は去年の7月からnoteを始めて、もうすぐで1年になる。はじめは好きな料理をして、食べにきてもらう「ホームパーティ」のようにやっていたが、最近また問いが立っている。それは「ここはどういう土地なのか?」ということだ。

なぜ「土地」が気になったのかというと、今までの僕は「何をやるのか」の意識は明確だったが、「どういう土地でやるのか」については曖昧な意識のままやっていたと気づいたからだ。

好きな料理をつくる、はハッキリとしている。だが、どこでつくるのか、は理解していなかった。たとえばこのnoteが「はてな」であっても同じことを書いている。誰かに紙を渡されて「ここに何か書いて」と言われても、多分似たようなことを書く。(と、最近あるレポートを書いていて、気づいた)

この「土地によって変わらない」というのが、自分の厄介な癖だなと思いはじめた。それは読む人を意識しなければいけないとか、客観性をもつという話もあるが、まずこの土地に「どういった力が宿っているのか」についてを考えたり、感じることができていないのだ。

もしかするとこれは空想や詭弁なのかもしれない。だが僕はその「力」と、自分の「力」を合わせることで、新しいものが生まれてくるように思える。

力は結局、いる「人」だったり、メディアの「属性」だったりするのかもしれない。ただ僕にとってそれは風のようなもので、大地には感じられないのだ。追い風にもなるが、根こそぎ持っていかれる要因にもなりかねない。

その土地を理解して根づかせる。それが2年目の僕のテーマになりそうだ。(そして僕自身のテーマにもなりそうだ)家の庭でよい作物がとれるようになって、さらに料理が美味しくなることを望んでいる。

きょうも読んでくださって、ありがとうございました。よい一日をおすごしください。

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吉澤 馨
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