見出し画像

アサリの恋

夜、電気を消し、あと少しで眠りにつくというときに、羽音とともに襲ってくる蚊は、長年 相容れない、倒さねばならない敵だった。

羽音がしなくなり、撃退したかと目を閉じ、ようやく眠りかけたころ、闇の中から再びあらわれる。

明かりを煌々とつけている間はなぜかあらわれない。枕元の読書灯をつけ、両手を布団から出して待つ。全滅させるまで、何度失敗しても諦めない。首尾よく退治すると、母親に寝かしつけられた子供のように、安らかな眠りにつく。

道の駅 あわじ

このあいだ、今年初めての蚊が出た。撃退しようとして、以前ほど自分に闘志が湧かないことに気づく。蚊は冬が近づくと、夏のころのような元気が無くなるが、自分も同じようなものなのかもしれない。

次第に面倒になり、喰われても仕方がないと半ば諦めていたら、知らないうちに眠ってしまった。

うるさい羽音が去ったあと、次に襲ってくるまでの時間より、私が寝つくほうが早かったのだ。さっさと寝てしまえば、全滅させる手間がかからないことは、驚くべき発見だった。

大塚国際美術館
システィーナ・ホール


森鴎外は「ヰタ・セクスアリス」の中で、本を読むときは、何が書かれているかではなく、作者がどういう気持ちで書いているかを考える、という意味のことを主人公に言わせている。

モネの睡蓮の池


時に我々は、他の生物に比べ優れており、かつ、その優れた我々が抱く さまざまな感情の中で、最も崇高で純化された思いは「恋」ではないかと、ともすれば思いがちなところがある。

だが、恋をしているときに出る脳内物質は、我々の遠い祖先のヤツメウナギなどの、ごく原始的な生物と同じなのだそうだ。煮立った鍋に放り込まれる直前、貝の隙間から管を出しているアサリたちは、ロミオとジュリエットさながらということになる。


ヤツメウナギやアサリの気持ちを推しはかるように、私は蚊の気持ちを推しはかってみる。

血を吸わずにはいられない運命を負って生まれた蚊が、一心に血を吸う。それは必ずしも、恋のように幸せな気持ちではなく、自分の過去に復讐するような、暗澹たる気持ちだったかもしれない。そうだとすれば、吸われた相手がどんな気持ちがするかなど、想像することもできなかったに違いない。

何かをされたとき、相手がそのとき本当はどんな気持ちだったのかを考え、相手も自分も同じ弱さを持つ、生きて在る者として互いを思いやることができたなら、この世はどんなに平和だろう。

すべてを知ればすべてを許すことができる、という言葉がある。だが、すべてを知ることは、道のりが遠かったり、難しかったりすることではない。それは、できないことなのだ。

誰からも知られることなしにたった一人でいることができず、相手の行いに悩むのが、神ならぬ身の我々ではなかろうか。そしてそんな、至らぬ我々だからこそ、成し遂げることができる素晴らしい何かがあると信じている。

明石海峡大橋

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?