蛇顔の女
以前、お師さんがこんな話をしていた。
「その手の才や加護が強い奴は、視える以上に "やったらいかんこと"ができないようになっている」
これをもう少し細かく説明すると、
人外や異界を理解する素養がある、いわゆる「霊感が強い」人間、
あるいは人外の守護者から強力に守られている人間は、「やってはいけない行動」を絶対にとらないし、とれない。
……という摩訶不思議な話だ。
お師さん曰く、下手にアレコレと視えるよりも「間違った行い」をしないほうがよっぽど大事なのだとか。
ちなみに「やってはいけないこと」の基準は道徳とは特に関係がない。
話を聞いた時は「そんなものか」と思ったが、 まさかそれを自分が体験する羽目になろうとは……。
蛇顔の女
これは2004年。まだ年号が平成だった頃の話。
当時20代後半だった私は、転職のため後任者へ仕事を引き継ごうとしていた。
後任者はHさんという女性で、私の記憶が確かならば私とさほど年も変わらない、 見た目から能力、性格まで可もなく不可もない普通の人だった。
引継ぎ作業をしながらの勤務が一週間ほど過ぎた、ある日。
仕事中の彼女が、寒そうに肩をすくめ腕をさすっている。
そんな様子が気になって声をかけると、案の定部屋が寒いのだという。
しかし、部屋の作り的に彼女の席だけ微調整することはできない。
私は日頃服装で対応しているのだが、彼女は上着などを持っていないという。
そこで、私のジャケットを彼女に貸してあげた。
それから数時間。
彼女は定時の17時で帰って行ったが、 私はいつも通り20時過ぎまで残業。
やっと仕事を終わらせて帰宅しようと、彼女から返してもらった上着に手を通そうとしたのだが……。
なぜか、腕が動かない。
いや、正確に言うと、腕は動く。
だが、上着を羽織るために動かそうとすると、途端に動かなくなるのだ。
右手から袖を通そうとしても、右腕が上がらない。
左手から通そうとしても、やはり左腕が上がらない。
肩にかけようとすれば、今度は両腕が動かない。
これは一体どうした事だ?
ふと、Hさんに上着を貸した事が脳裏をよぎるが、すぐに頭をふって打ち消す。
私は他人がちょっと羽織った上着に袖を通せないような潔癖症ではない。
ロッカーで数分間格闘したものの、何をしても上着は着れずじまい。
辛うじてできたのは、雑に畳んで腕に抱えることだけ。
最終的に着るのを諦め、片腕にぶら下げて帰途についた。
この時は、10月の始め~中頃。
近年は、この時期も残暑と呼べない暑さが残っているが、20年前は今ほどの気候ではなかった。
10月と言えば秋。昼間はさておき、夜は上着がないとそれなりに寒い。
私もそれを見越してジャケットを持ってきていたのだ。
特にこの日は風が強く、相当寒かった記憶がある。
びょうびょうと吹く秋風の中、震えながら再び上着に袖を通そうとするのだが、 やはり腕は動かない。
こんなにガチガチと歯が鳴るほど寒いのに、それでも上着が着れないなんて……。
まったく、私の体はどうしたっていうんだ。
あまりの寒さに半泣きになりながらも、なんとか帰宅。
そして、手にした上着をどうしたものか?と思ったが「とりあえず洗ってみよう」洗濯機に上着を放り込む。
ジャカジャカと水が出てくる様子を見ていたら、 ふと「塩を入れてみよう」思いつき、買い置きの天然塩を一つまみ入れて洗濯機を回した。
回る洗濯機を見ながら
「おかしいなぁ。私は知らん間に潔癖症にでもなったか?Hさんが見るからに小汚い人なら分かるが、別にいつも小綺麗にしているんだがなぁ」
と、ボンヤリHさんの姿を思い浮かべた。
しかし、そこで妙な違和感に気付く。
思い出したHさんの姿は、首から下は太くも細くもないHさんの体。
だが、首から上は 「蛇の顔」 なのだ。
蛇の顔と言っても、完璧な蛇の頭が乗っているわけではない。
Hさんの髪型で、耳があってピアスをつけて……という具合になんとなく彼女の顔形の特徴は持っているが、 顔の中身が蛇なのだ。
「はぁぁぁぁ~??」
自分の想像であるにも関わらず、思いもしない姿だったので自分で驚いてしまった。
いやいやいや……と、再び思い出してみる。
しかし、何度やっても……やはり、首から上が蛇の顔。
おまけに、やればやるほど詳細が見えて、最終的にはうっすらと鱗まで見える始末。
……なんだかトンデモナイモノを見てしまった。
この時の冷や汗がじわっと滲む感覚と、ゴウゴウと回る洗濯機の音は、20年以上経った今も実に鮮明に記憶に残っている。
翌日。
洗ったのが良かったのか、それとも何か他に理由があるのか、上着は着られるようになっていた。
そして、当然翌日もHさんに会ったが、 やっぱり蛇の顔などしていない。当たり前だ。
そしてHさんは「爬虫類顔」というタイプでもない。
やっぱりあれは気のせいだったのだろう。
昨夜の出来事を気にしないようにして過ごしながら迎えた終業時間。
私は今日も残業だが、Hさんは妙に楽しげに帰り支度をしている。
私「何?どうしたの?どっか遊びに行くん?」
H「友達と名城線に乗りに行くんです」
私「名城線?地下鉄に乗りに行くの? 乗って何処かへ行くんじゃなくて?」 H「ほらあれ、最近繋がって輪っかになったじゃないですか。 あれをグルグル回ろうと思って」
この年、2004年10月は名古屋で全国初の地下鉄環状運転が開始した時だ。
確かに今まで名古屋に環状線はなかったから、珍しいと思う人もいるのだろう。
しかし、東京の山手線とは違って所詮は地下鉄だ。あんな何も見えないものに乗っても面白いのだろうか?
そんな私の表情を察したのか、 彼女はもう一言加える。
H「なんかあの繋がった路線図…………大きい蛇みたいですよね」
多分、彼女はにっこり微笑んでいたと思う。
しかし、私には目の前にいる彼女が「巨大な蛇」にしか見えていなかった。
色々と思う事はあったが、その時は「あ……見ようによっては……そうだよね」 と、やや引きつった笑顔で返すのが精いっぱいだった。
それから一週間も経たずしてHさんは突然会社を辞めた。
理由は 「生き別れになっていたお父さんが亡くなって、 どうたらこたら・……」 という、嘘か真かよく分からない事情だった。
その訳の分からない理由に納得いかず、派遣会社の担当に「どうなってんの?」と問い合わせたのだが、先方にもHさんからそうゆう内容で連絡があり、以降は全く連絡が取れないそうだ。
それから数日後。
お師さんに会ったので 一連の事柄を話してみた。
師「あぁ、それは間違いなく蛇が憑いとったんだ」
私「はぁぁ?いや、それなんか短絡的すぎん?
そもそも蛇憑きだから返してもらった上着が着れなかったんかね?
蛇憑きと急に仕事ブッチしたの関係すんのかね?」
師「上着についてはようわからん。だが、いなくなったのは逃げたんやろ? お前に正体を見破られてしもったんやから。 あぁゆうもんは、普段上手に隠れるが正体が露見したら駄目だ。 祓われてしまうからな」
この時は「まさか、まさか」と思っていたし、 この一連の出来事の真偽は今でも分からない。
しかし、今にして思うと上着そのものは、どうでも良かったんだと思う。
「上着が着れない」というトラブルがあったから「離れた場所から彼女を思い出す(視る)」という行為をすることになった。
それをさせることが重要だったのだ。
それは「視ること」のコントロールが分かっていなかった当時の私に「誰か」がやらせたのだと思う。
もしくは、彼女をあのまま会社に居つかせたくない「何か」が、私に彼女の正体を知らせることで、彼女を追い払ってしまったのかもしれない。
人外の、いわゆる神に連なる者達も万能ではない。制約がある。
その制約から外れて何かをするために「操りやすい誰かを使う」というのはよくある話だ。
とはいえ、真相は今もって闇の中。
今後も確認しようがない話である。
ただ、今もこうした「後から思い出すと、どうしても違う顔しか出ない人」には遭遇する。
そして、その数が以前より増えている気がするのは、私の気のせい……なのだろうか。
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