芦屋先生

大学4年生、初めて心療内科に行った時、
問診やカウンセリングに納得行かない部分があって、
今思えばかなり危険な行為だったのかもしれないけど、私は自分自身で解決したいと思って、途中で通うのをやめた。

卒論用の文献を読んでも何も頭に入ってこないくらい参っていた時、偶然BOOKOFFて芦屋先生の「Piece」を見つけて、「砂時計」以来、多分初めて先生の作品を読んで、涙が止まらなかった。読みながら泣きすぎて、その時の思考や感情を正確に思い出せないけど、誰の言葉も届かなかった当時の私に唯一届いた作品だった。

届いたどころじゃない。この作品がなかったら出口にでてこれなかった。100円の飲み物を買うのも躊躇するくらい金銭的に苦しかったけど、せめてと思って、とくに自分の心に届いた巻をいくつか購入した。何回も読んだ。その時から普通を決めるのは自分自身でしかないって自分に何度も言い聞かせてきた。

事実関係はわからないけど、でも私は芦屋先生と芦屋先生の作品が凄くすきで、好き以上の信頼で、尊敬で、事実なんてすっ飛ばして先生の事を信じちゃう。味方してしまう。

よく本当に大切な人が亡くなられたら言葉なんて出ない、すぐに発言する奴はおかしいとか聞くし、私もそれに対して何も思ってなかったけど、でも今は違う。言葉にならないのに、言葉にしなきゃいられなくなるんだ。

先生の作品を読んだら、先生がどれだけ命を削りながら作品を描かれていたか、先生が色々な側面からきっとご自身の人生のテーマであろうものに向き合い続けたのかわかるよ。砂時計で一世を風靡してから、少女漫画の大王道ではないジャンルで、次々と作品を描かれていたの、凄くかっこいいと思っていた。だから、ひとつひとつの作品に対して、並々ならぬ愛情や想いがあることくらい、私みたいなファンの端くれだって分かる。全作全巻持ってなくてもわかる。わかるから悔しくて悲しくて、でも悔しいも悲しいも違う気がする。

私だって誰かを批判したり攻撃したりする為にこれを書いてる訳ではないけれど、でも誰だって自分の1番大切なものを「尊重してるよ」と言われながら踏み潰されたら、ずたずたに切り裂かれたら、怒りでも悲しみでもない、ただただ絶望する。大切にしてるつもりだった、尊重してるつもりだったなんて許されないと思ってしまう。きっとドラマも多くの人が寝る間も惜しんで働かれて、何とかスケジュールに間に合わせてつくられた作品なのだろうと思う。けど、人の宝物を形を変えて先生の作品として世に出すのならば、どれだけ面倒でも時間がかかっても、骨が折れても、守らなければいけない、尊重しなければいけないことがあると思う。制作サイドの末端にいる人たちがその皺寄せを受けてしまうから、上に立つ人が全力で何とかしないといけないと思う。だってあなたは自分の赤ん坊に時間がないからと言って、ミルクをあげるのをやめたりしますか?お金がないからといって、オムツを変えるのをやめますか?何が何でも絶対に命を守るための努力をすると思う、いや、そうじゃなきゃいけないと思う。ありとあらゆる手段を使って、校了させるのではなくて、ありとあらゆる手段を使って生かさなきゃいけないと思う、殺してはいけないと思う、絶望させてはならないと思う。だってそれは命と同等の、いやそれ以上のものでもあるから。

責任者を責め立てたいのとも違くて、これが当たり前なのが、しょうがないのがこの業界であるのならば、今すぐ変わらなければいけないと思う。みんなおかしいって思ってきたはずだもん。芦屋先生の事だけではなく、誰かの心を殺しながらクリエイティブをつくる環境が憎い。

だから、事実は分からなくても、この最悪な結果をみて、こういう風に思ってしまう。同じ現場に末端で自分がいたとして、正しい行動をできるか、正直悔しいけど自信がない。だから私が無責任極まりないのも分かるけど、こういう風に思ってしまう。最悪な結果と言ってしまったけれど、先生にとっては取り返しのつかない今よりも最良の結末なのかもしれない。

芦屋先生が、せめて、今は苦しみや絶望のないところで静かにおやすみされてますようにと、それだけを願います。

そして芦屋先生と共に作品を守るために闘い続けた、先生の心に胸を馳せていらっしゃった方々、きっと私以上の悲しみにも関わらず、立ち止まる事を許されないような状況だと思うと苦しいですが、1日でも早く、静かに呼吸できる日が来るようにと願います。

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