#21歳女子、同情するならユメをくれ。
辛い。就活セミナーを終えた、お利口な私の足の上に、一枚のアンケート用紙が座っていた。住所・氏名・大学名、と一通り書き終えると、それはこう問いかけた。抑揚一つ変えない無機質なその声で、突然。
「あなたの夢を教えてください」
もう、早く家に帰りたかった。殴り書きにも近いような文字で、私は書きこんだ。多分、何かを書き込んだんだと思う。翌朝の通学電車の中では、もう何も思い出せないけれど。
私は、きっと私たちは、生きるために現実を求めている。追いかけている。ここでいう現実は、年齢に見合ったお給料とか、トイックのスコアとか、数字で置き換えられるもの。あと、学歴の高い彼氏とか(それでいて、イケメンだったら文句なし)、プラダのお財布とか、安定した価値のあるもの。
でもきっと、大人たちは、私たちにユメを持っていて欲しいんだろう。どんなユメって、それは大人になってしまった自分たちには想像できないくらい、若くて、みずみずしくて、希望に満ちあふれているもの。あ、あとそれだけじゃなくて、「君ならではの個性がないとダメだよ」なんて言うものだから、こっちはもうたまったもんじゃないわけ。私たちの約20年間の人生を、「失われた20年」なんて言葉ですっぽり包み込むのは大人たちのくせに、笑ってしまう。
そういえば、幼稚園の頃の誕生日カードでも、こないだと全く同じことを聞かれたんだった。そして、そこにはこう書かれていた。
「きみのしょうらいのゆめはなにかな」
「かわいいかみさまになりたい」
この言葉は少しも嘘じゃなかったんだろう。今はもうそんな自分を鼻で笑ってしまうのだけれど。
あ、ちょっと。こんな私を見て、ため息なんてつかないでください。良いですか、これが現実なんです。こんな私たちだって、あなたと同じ世代の父と母の血を受け継いでいるのです。
父と母。私が生まれた時から、いや厳密には私が生まれる数ヶ月前から、私の1番側にいる人たちだ。結婚したら、ユメなんてなくなって現実まっしぐらなんてよく聞く話だけれど、どうだろう。よし。身近な大人代表、エントリーナンバー1番、うちの母。
「ねえ、お母さんのユメってなに」
「ユメって……。ふふふ、そんなのもう忘れちゃったわよ。人それぞれなんじゃない」
母は言葉を続ける。
「夢って、まあアレでしょ。自分のやりたいことでしょ」
私は、はっとして母の顔を見つめた。母は、そんな私の視線には気づかずに、せっせと夕飯の準備をしている。
かわいい神様にはなれない。何かで1番になるってすごく難しい。私はこれからもずっと、社会の中の私であって、私の中に社会があるわけじゃない。そこまで考えたとき、私の目の前に広がる景色があった。
私は、それを何と呼ぶのか気づいた。
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就活開始直前の大学3年生の1月だか2月に書いたもの。「夢」というタイトルで作文を書いてきてって言われた。こういう形で言葉に残せて本当に良かったなと思っている。
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