#デザイナーになれるか不安だった時のひとりごと
なんにも手に入れられなくても
なんにも敵わなくても
それでも良いと思える地続きのしあわせがあるかもしれないし、それこそ本当はずっと自分が望んでいたものかもしれない、
と思いたかったというか、
ただ楽になりたかったんだと思う。
生活の全てを変えて全てを懸けて何かを目指す、
そんなの小説や映画じゃないと安心して観れない。
100人中99人が諦めるという言葉を聞いてから、
諦めそうになる度に、
ここで諦めるのは何人目なんだろうと、
頭の上でシャンプーを泡立てながら考えた。
交渉のテーブルにつけない自分を
悔しく思う気持ちもあるし、
足元を見られて情けない気持ちもある。
夢とやりがいの搾取、
なんて言ったら自分たちが被害者のようで、
それこそ、そんなの自分から対等であろうとしてなくて、そんなのダメだと思うけど、
それでもそうとしか思えないものもある。
辿り着きたい場所がぼんやりとあって、
場所、なんて定まったものじゃなくて、
エリアとか世界線とか、そのくらいなんだけど、
そこに行きつくためにどうしたら良いのか、
鈍行列車に乗るべきか、
靴が脱げても走り続けるべきなのか、
良いところにタクシーが来たら
乗ってしまうべきなのか、
わからないから、
やりたいことをやればいいって言うのも難しい。
行きたいところに行けるなら、
その途中で大怪我したっていいし、
災害や事件に巻き込まれたっていいし、
少しぐらい人に裏切られたって気にしない。
だけどそんなの分かるわけないから、
何かある度に何もない程に不安になるだけだ。
何度やり直したっていいんだろうけど、
何度もやり直せる気力を自分が持ち合わせているかどうか、分からないというか、自信がない。
そんな即物的な価値観もどうかと思うけど、
わかんなくてわかんなくてわかりたくてわかんなくて、情緒不安な周期に押しつぶされて、じめじめとした陰鬱な夜を1人で過ごすことになる。
間違えて間違えて、
もうこれ以上はないと思うところまで間違えてやっと間違ったバスに乗った事に気付く。
でもまあ降りた先になんかいいお店あるかなくらいにも思う。