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藤原道長「この世をば…」の和歌から一千年の満月。新しい解釈を示す論文も。
目次【2018年11月23日 季節のお便り・号外】
・2018年11月23日は「この世をば…」の藤原道長の和歌から一千年目。
・道長本人の日記には残されていない「望月の和歌」にまつわるエピソード。
・権力誇示というより親バカ…?今年発表された望月の和歌の新たな解釈。
2018年11月23日は「この世をば…」の藤原道長の和歌から一千年目。
今夜11/23(金・祝)勤労感謝の日は、平安時代に多大なる勢力を誇った藤原道長が「この世をば 我が世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも なしと思へば」という和歌を詠んだ日から、ちょうど1000年目のを迎える日、しかも満月の日です。
道長がこの和歌を詠んだ寛仁二年(西暦1018年)十月十六日は旧暦なので、現代では2018年11月23日(旧暦の十月十六日)に当たります。
実は、道長が望月の和歌を詠んだ日は満月ではなかった(この謎から紐解く新たな解釈も以下にご紹介します)のですが、一千年後の今日は、満月を見ることができます。のですが、一千年後の今日は満月を見ることができます。
Twitterを発端にオンライン上で大きな話題になったようで、京都新聞などにも取り上げられ始めました。
今夜は是非、月をご覧になってくださいね。
ここでは、より一層この日の満月を楽しみたい方、残念ながら天気が思わしくない所に居る方に向けて、意外と知られていない望月の和歌にまつわる小話をお届けしたいと思います。
本人の日記には残されていない?「望月の和歌」にまつわるエピソード。
「藤原道長」の平安時代に栄華を極めた藤原家一族の中でも、実質的な最高権力者となった彼は、その絶頂期に詠んだ「この世をば…」の和歌とともに、現代でも広く知られています。
しかし、直筆本も遺っている道長の日記『御堂関白記』には、この望月の和歌は載っていません。
藤原実資(ふじわらのさねすけ)の日記『小右記』に書き残されてたことで後世に伝わっています。
この「望月の和歌」は、これまで絶頂期にある道長の権力を誇示するものとして伝えられてきましたが、今年の京都大学文学部国語学国文学研究室編『國語國文』にて山本教授の新解釈も発表されました。
ざっくり言うと「結婚式の二次会で娘を愛するパパが酒の席でテンション上がって詠んだ歌」という内容ですが、決して、トンデモない解釈というわけではありません。
和歌が詠まれた日は望月(満月)の夜ではなく十六夜(欠けていく)月であったこと、歌学者、藤原清輔(ふじわらのきよすけ)の『袋草子』に、この歌とともに献杯の様子が描かれたことなどから、体系的に立てられた仮説です。
この世=この夜(この和歌を詠んだ娘の結婚の宴の二次会の酒宴)
望月=皇室に嫁いだ娘の栄光の比喩(宴の日は満月ではなかった)
月=盃(酒を注いだ丸い盃は月の掛詞としてよく用いられる)
月=皇后の比喩
望月の和歌を日記に残した実資は、当時第一級の知識人であると同時に、宮中を牛耳る道長の権威に阿る事なく筋を通していた(ので、道長との仲は決して良いものではなかった)人でしたが、この日の夜は、みんなでこの道長の和歌を唱和しています。
ただ単に道長が自分の権威を驕り高ぶるだけの歌であれば、みんなで道長の和歌を唱和することはなかったようにも思われます。
3人の娘を皇室に嫁がせることで「三后の父」になるという前人未到の域に達した道長の喜び、そしてその娘達の栄光と一族の発展を願う親心が、敵対勢力であった実資も含めて、その場の人々にも共感を呼んだ結果であったのかもしれません。
参考文献:
・國語國文 87巻8号(通巻1008号) 京都大学文学部国語学国文学研究室 編
・山本教授インタビュー記事(産経新聞 2018.11.02掲載 子供の幸せ喜ぶパパの歌?藤原道長の和歌「この世をば-」の別解)
それではまた次回。
月に思いを馳せながら、どうぞ佳い夜をお過ごしくださいませ。