伝承の日本史9 物部東征と熊野

1世紀ごろの物部王国のリーダーはイツセ。ナギサタケ王の子。
弟の三毛野と稲飯とともに、物部王国の遷都を計画した。

→ 物部東征が、神武東征神話に差し替えられた。

その機をうかがっている間に播磨と吉備、出雲が戦乱状態になったので、ヤマトへの進軍を決めた。
165年、船団を組み有明海から南九州を目指した。
肥後クマ川流域で兵を集めた。「久米の子」と呼ばれた。
サツマ半島の笠沙の入り江に停泊した。

佐多岬を通り、足摺岬を進み、土佐の南岸を通った。吉備軍の攻撃を避けるため。
この時、大型銅矛は物部のシンボルだったが、戦争中の携帯用に溶かして矢尻や鏡に変えた。
鏡を神宝とするには道教。
この時の物部集団の中に土佐に移り住んだ人がいたらしく、「香我美」の地名が見られる。

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