伝承の日本史17 〜武内大田根つまり武内宿禰

ミマキイリヒコは都万に王宮を作り、西日本の都となって街が広がったので、北部には西都原の地名ができた。

都万物部王国と豊王国は連合し、物部は武力、宇佐が祭祀として機能した。

フトニ(孝霊)、クニクル(孝元)大王時代の戦乱を嫌って西日本の豪族たちは西都原に移住する者も増えた。その中には、第一次東征で磯城家に取り込まれてしまった熊野系物部もいた。
ミマキイリヒコは第二次東征を行い、ヤマトに物部王国を建てると宣言した。

熊野系物部のイカガシコメ姫は、クニクル(孝元)に嫁いでフツオシマミコト(布都押信)を生んだ。彼は真っ先に都万に招かれ、ミマキイリヒコの重臣になった。
彼の息子・武内(たけしうち)大田根も、紀伊の国から一緒に移住。
武内大田根の生誕地には武内神社が建てられている。

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