伝承の日本史7 〜第一次出雲戦争と吉備王国

ヒボコ勢が出雲領播磨を攻撃した際、出雲はヤマトのフトニ大王(記紀では孝霊天皇)に援軍を求めたが無視。
その後、鉄を得ようと考えを変え、息子の大キビツ彦と若タケキビツ彦に播磨と但馬攻略を命じる。

ホアカリの子孫である海氏勢は、丹波方面からヒボコ勢を攻撃、丹波北部を占領。
この時、日高町の久田谷にいた新羅系の人々は持っていた銅鐸を壊した。

この人たちは日本海に逃れ、一部は伊都(糸島)に渡った。その後戻った者がいたらしく、播磨風土記に「伊都村」が記載されている。
播磨にいたヒボコ系新羅人の多くは淡路島に逃れた。一部は琵琶湖東の坂田に、一部は吉備に逃げた。

出雲戦争の始まり

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