運命だった外務省での仕事
岡山の田舎から補欠合格で東京外大スペイン語科に入った私は、当初、同級生に対して、田舎者、補欠という劣等感を抱いていました。そこで、それを払拭しようとまた勉強だけはがんばりました。
東京外大は、2年生が終わると1年休学して、専攻している言語の国に留学する人が多く、私も右ならえでスペインに1年留学しました。最初、ホームステイをしていたのですが、ホストファミリーと全くコミュニケーションが取れない。そして、マラガというスペイン南部の田舎を選んでしまったので、勉強以外にすることがない。私は3カ月で鬱になってしまい、一度日本に帰りました。それでも、負けず嫌いの性格なので、自分をふるい立たせて、またスペインに戻りました。次は、スペイン第4の都市サラゴサに行き、大学が開講しているスペイン語コースに行きました。そして、ホームステイではなく、同世代のスペイン人とシェアに変えました。すると、あの鬱は何だったんだろうと思えるほど楽しく過ごせました。そのコースに外務省から派遣されていた外交官補の方々がいて、仲良くなり、外務省に関心を持つようになりました。
就職活動の時期になり、外務省の仕事には関心はありましたが、仕事の半分は海外となると、また鬱になったらどうしようという恐れもありました。スペイン語の専門として入ったら、ほとんどの海外勤務が中南米になります。スペインでは楽しく過ごせたけれど、中南米生活を私は楽しめるのだろうかという不安があったんです。大学3年から外務省専門職の試験勉強はしていましたが、こんな不安があったので、腹をくくって、勉強に専念することができず、就職活動中は、受験しませんでした。
第一志望は、ビジネスで日本と海外をつなげたいと思い、JETROを希望していました。さらに、JICA、県庁、民間と就職活動をしました。結果、内定ゼロでした。今、思えば内定ゼロなのは当然だったと思います。なぜなら、大学時代、勉強はしていましたが、将来何がしたいかを追求していませんでした。なので、どこで面接しても、志望動機が弱かったんです。
就職浪人も考えましたが、日本大使館で2年間インターンとして外務省在外公館派遣員制度に応募し、合格したので、それは免れました。制度の詳細は、こちらのリンクをご覧下さい。http://www.ihcsa.or.jp/zaigaikoukan/hakenin-01/ そこで、大学の4年後期からまた大学を休学して、在スペイン日本大使館で2年働きました。
大使館勤務はとても楽しかったです。私の仕事は大使の秘書でした。スペイン人の秘書もいるのですが、私は日本語が必要とされる秘書業務を任されました。また、日本の政府要人がスペインに来た際のホテルの予約や新しいホテルの開拓の仕事も任されていました。毎日、大使館の同僚やホテルのカウンターパートとスペイン語を話し、彼らを理解し、信頼関係を築いていくことにとても大きなやりがいと喜びを感じました。
派遣員をしたことで、やっぱり外務省に入りたいと強く思うようになり、外務省に入る試験勉強を再開しました。外務省専門職採用試験は、国際法、日本国憲法、経済学からそれぞれ2本論述を書かされます。志願者の多くはダブルスクールして、2、3年かけて準備します。私も一旦、民間に就職して、同時並行で試験勉強をして、数年かけて、合格を目指すことにしました。
大使館勤務という経験が評価され、メーカーに内定を頂き、卒業後メーカーで働き始めました。入社した年の8月、試験科目範囲の30%程度しか勉強できていませんでした。経済はマクロを一通り勉強し終えていましたが、ミクロ、国際経済は全く手を付けていませんでした。
全く合格できるレベルではなかったのですが、練習としてその年に受験しまました。ただ、受けるなら、あがいてみようと、全く手を付けていなかった国際経済の赤本(論述の回答例集)を試験前夜に読んだんです。数百ページある本をぱっと開いて、そのページにある論述をノートに書き写しました。いわゆるヤマカンです。
すると、試験にまさにその問題が出たんです。震えました。国際法、憲法の論述はなんとかそれなりに書けました。一方で、経済のもう1本の論述は、勉強していなかったので、全く書けず、白紙で提出しました。
ヤマカンはあたりましたが、さすがに論述1本を白紙で出したので、筆記試験は合格しないだろうと思っていました。でも、奇跡的に筆記試験を通過しました。誰かが間違って、私の受験番号を書いたんじゃないかとすら思うほど、びっくりしました。そして、2次試験も通過し、なんと、練習として受けた年に合格できたんです。
派遣員を経験していて、スペイン語がかなりできたのが、合格できた要因だと思いますが、山勘が当たり、入省できたのは、私は外務省に入る運命だったと当時も今でも思っています。
私は、自分のビジネスもしながら、アカデミックな天職研究もしています。今は、日本とオランダの研究者(大学教授)と日本人漫画作家が長いキャリアを経ても、漫画作家の仕事を天職だと思い続けられる要因について共同研究をしています。
天職研究者が定義する天職の定義の一つに、その仕事についていることに運命感を感じるというのがあります。私はまさに、それを外務省入省に感じていました。
という訳で、ある意味運命的な導きで私は外務省に入省しました。とはいえ、私はいわゆる官僚といわれる外務省一種ではなく、専門職で入ったので、私の劣等感は消えることはありませんでした。誤解を避けるためにお伝えしておきたいのは、外務省専門職採用試験は本当に難しいです。そして、専門職の方は概してとても優秀です。
一方で、この劣等感が私の負けず嫌いな性格を加速させ、外務省で評価される仕事をするモチベーションにもなりました。