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「本当の自分」という定義にとらわれる

小さい頃から憧れて天職だと信じていた仕事から少し離れてみた。
それからずっと「本当の自分」にとらわれて身動きがとれなくなっている。

ー自分が心から楽しめるものは何か。
ー自分が輝ける舞台はどこか。
ー自分らしさとは何か。

そんなことを考えて色々なことに挑戦してみるものの、前職ほどの熱量を持って取り組めずに何度も振り出しに戻る。
今、私のようにドツボにはまってしまっていたり、転職を繰り返していたり、「やりたいことがない」と一歩を踏み出せずにいる人が結構いるのではないかと思う。

そんな風に悩んでいる人の全てが同じだとは到底思っていないけれど、
私の場合は「本当の自分」にとらわれて、身動きが取れなくなっている。「本当の自分」なんて定義できないのに。

人に優しくできるのも本当の自分
他人のいいところを見つけるのが得意なのも本当の自分
感受性が豊かなのも本当の自分
一方で
人に嫉妬をしてしまうのも本当の自分
他人に対してどこか冷めているのも本当の自分
数字に興味がなさすぎて商売が下手くそなのも本当の自分

表に出ているものも、内に秘めているものも
全部ほんもの。

それなのに、都合の良い部分を集めた「理想の自分」を「本当の自分」にすり替えて定義しようとするから、そこから溢れたネガティブな部分との折り合いがつかなくなって苦しくなるのではないかと思う。

何かを定義するということは、「定義したもの以外をそれと認めない」ことに繋がる。

優しい自分も、だらしない自分も、社交的な自分も、マイナス思考な自分も全部自分なのだから、どこかを切り取って都合よく定義すること自体がナンセンスだし、そうやって定義した「本当の自分」という名前の虚像にとらわれて前に進めなくなることがとてももったいない。

とりあえず「やりたいことは何か」とか「自分らしい生き方」とかを哲学して自分で作り上げた虚像と照らし合わせるのをやめて、今できそうなことや他人から求められていることからはじめてみることにしよう。
今できることや他人から求められていることは、客観的に評価された「本当の自分の一部」であることに違いないのだから、それを一度受け入れてみるのもひとつ。

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