もうなんか、何もかもどうでもいいなと思う自分。
自分は日々、わりと真面目に生きていると思う。
でも、私の中にはいつも「もうなんか、何もかもどうでもいい」と思っている自分が常にいる。
その気持ちは普段心の奥底にそっと隠れているが、最近は割りと頻繁に心の表面に浮かんでくるようになった。
朝に一生懸命書いた記事をアップしたものの、その後急に「もうなんか、何もかもどうでもいいな」って気持ちが急に湧いた。
なんでこんなに一生懸命記事を書いてるんだろう。
(かっこつけたいだけだろう?)
なんでこんなに悩んでぐるぐるしているんだろう。
(動かない理由を探しているだけだろう?)
なんで自分の子供とは言え、こんなに他人の人生の心配をしているんだろう。
(結局自分の心配しかしてないんだろう?)
なんでいちいち他人の意見に左右されるんだろう。
(他人の意見なんてどうせ聞いてないだろう?)
なんでいちいち他人の言葉に傷つくのだろう。
(本当は被害者ぶりたいだけなんだろう?)
数々の色んな「なんで」が浮かんでは消え、本心が囁く。最終的には「なんで私は生きているんだろう」(でも死ぬ勇気なんてないんだろう?)というところまで行き着く。
でも「本当はそんなことすら全部どうでもいい」と思っている自分がいる。
最初は疲れていて、心が病んでいるのかなと思った。でも、そうかと言って人生を辞める気はさらさらない。「失望」や「絶望」といった真っ黒な気持ちとも違う気がする。
この気持ちを表現するのに最適な言葉がないか、考えてみた。
浮かんだ言葉はたったひと言。
「飽きた」
だった。
ずっと頑張り続けてきた自分に飽きた。
いいお母さんになろうとする自分に飽きた。
悩んではぐるぐる考えることに飽きた。
他人の目を気にしてビクビクする自分に飽きた。
他人の言葉にいちいちビクビクする自分に飽きた。
ただ、飽きた。
つまんない。
昔から何か物凄く冷めた部分が自分の中にあり、心の深い部分では、「実は他人の事など、本当はどうでもいい」と思う自分がいた。本当は、自分がいかにしたたかで、誰よりも傲慢なことを知っている。
この気持ちを初めて知った時、自分は本当に人として終わっているなと思った。
絶望的にヤバい。
だから普段はその気持ちは見ないようにしてきた。そして思った。いや、そんなはずはない。私は善人側にいるばすだ。私は他者に親切に出来る「いい人」のはずだと言い聞かせていた。
それに「心が傷ついた」といいながらも、本当は魂レベルでは別に痛くも痒くもないのだろうとも、ずっとどこかで思っていた。
自分を責めながら、自分に酔っているだけだと、冷めた目で見ている自分が心の中に必ずいる。
そして気がついた。私が何故、他人に嫌われることを極端に恐れていたのか。
本当は「他人の事など、本当はどうでもいい」
と思っている自分の本心が、他人にバレることを恐れていたのだ。
以前に「いい人目指すのはもうやめよう」という記事を書いたが、実はそもそも自分は「いい人を目指す事すらどうでもいい」と心のどこかで思っていた。「いい人」になりたかったのは、ただ人の輪に入れてもらいたかったからだ。
今までは「自己中の自分」という本心を覆い隠しながら色んな自分を演じてきた。でも最近自己内観を進めているうちに、この本心から目をそらすことが出来なくなった。
さらに元々の根っこの部分がもの凄く冷めているため、傷ついたと思った事や、自分を演じることなども「実は本当の事ではない」と気づてしまい、そうすること自体にもう飽きてしまったのだと思う。
どうしよう。
自分って、本当にヤバいやつやん。
そう思いながらも、なんだかわくわくしている自分も見え隠れする。
最低やな。救いようがない。
でもそう思った次の日には、他のnoterさんの感動的な記事を読んで、「全ての人の幸せを祈りたい」とか思ってる自分や「皆と仲良くしたい」と思っている自分がいる。一体どの口がゆうてんねん。
とにかく最近は特に、気持ちの振り幅が大きすぎる。もうどうしようもない自分。
どうしようもないから、いつもの冷めた目でただ観察を続けている。
揺れ続けているこの私の気持ちは、最終的にはどこかに落ち着いていくのだろうか。
そんなことを思いながら、また今日も生きている。