見出し画像

【企画参加:第二回「絵から小説」】Sakuya ーサクヤー

(1人でここに来るのは、まだ早すぎたな。)
長野の東山魁夷館を訪れた私は、どうしようもない胸の痛みに耐えながら心の中でこう呟いた。

末期ガンの自宅療養をしていた母の希望で、父と母と私の3人でここを訪れたのは20年前。
余命宣告は受けたものの、まだまだ元気だった母は大好きな日本画家の絵を心ゆくまで鑑賞し、その日は終始ゴキゲンだった。
だが、その翌月には急激に体調を崩し、さらに半年後にはあっけなくこの世を去ってしまった。

「どんなに辛いことだって、日にち薬で良くなるから」
これは母の口癖だった。
だが、その母を喪った心の傷は何年経っても癒えることはなく、少しでも母の想い出に触れようとすれば容赦なく傷口を開き鮮血をにじませて私をさいなむ。
だからずっと、できるだけ母のことは考えないようにして、母との想い出が濃く残る場所にも足を踏み入れないよう注意深く生きてきたはずだった。
なのに。
唐招提寺御影堂の障壁画が展示されると聞き、矢も楯もたまらず見に来てしまったのがいけなかった。
作品が素晴らしければ素晴らしいほど「お母さんだったら、この絵を見てどう思っただろう、どんなに喜んだだろう。」
そんな風に考えて、堪らない気持ちになってしまうのだった。
逃げるように美術館を後にした私は、1人では持て余してしまうほどの胸の痛みを少しでも誤魔化したくて、善光寺さんにお参りに行くことにした。

善光寺さんの本堂でお参りを済ますと、ふと小学生のときにやった「胎内巡たいないめぐり」のことを思い出した。
暗闇の中を巡り、生まれ変わりを体験する。
今の私には何よりの慰めになるのではないか。
そんな気がしてさっそく内陣拝観券を購入し、地下へと続く階段を下りた。

階段を下りて数歩進むと周囲は漆黒の闇に覆われた。
右手で右側の板壁を触りながら一歩、また一歩と前に進んで行く。
どれくらい闇の中を進んだだろうか、私は(何かおかしい)と感じ始めていた。
子供のころの体験ではほんの数分で「極楽の錠前」に辿り着き、そこからさらに数分で出口に辿り着いたはずだ。
おそらく入り口から出口まで、トータルで5分もかからなかったのではなかったか?
だが、私はもう10分以上は暗闇の中を歩いている。
しかも、私の前後にも他の参拝者がいたはずなのに、今は全く気配がない。
これはどうしたことだろう?
もしかして私は、この世ではないところに足を踏み入れてしまったのだろうか?
そう思い始めたとき。
数メートル先に白い人影が見えた。
目を凝らすと薄衣うすぎぬをまとった少女が軽やかに踊っていた。
私は壁から手を離し、フラフラと少女に歩み寄った。

少女は踊りをやめ、じっと私を見た。
少女の顔は、少し私に似ていた。
少女がこの世の者ではないことも、ここがこの世ではないことも、なぜか私はすんなりと理解していた。
(私に似たこの少女は誰だろう?)
母のことを考えながら参拝し、この世ではない場所で私に似た少女に出会った。
だったら、この少女は転生前の母の姿ではないのか?
そう思った私は少女にこう問うた。
「お母さんなの?」
だが、少女はフルフルと首を左右に振った。

母ではないとしたら、この少女は一体誰なのだろう?
母は1人娘だったので、母に似た叔母などはいない。
私にも兄がいるだけで姉も妹もいない。
そして私には子供もいない。
…いや、違う。
脳裏に、ある光景が蘇った。
私の両腿を伝い落ちる大量の鮮血。
この身に宿したと思ったのに、ほんの数週間でこの世から零れ落ちてしまった命。
私はおそるおそる、その子の名を呼んだ。
日本神話の中で一番美しいと言われる姫神。
死と再生の象徴でもある「コノハナサクヤヒメ」から貰おうと決めていた名。
もし無事に産まれてきてくれたなら、皆に呼ばれたであろうその名を。
咲耶さくや?」
ニッコリと笑って頷く少女。
笑った時に半月型になる目元が、不思議なほど私に似ていた。
思わず口を衝いて出たのは謝罪の言葉だった。
「ごめんね。ごめんなさい。ちゃんと産んであげられなくて。」
フルフルと首を左右に振る少女。
「私のこと、恨んだでしょう。」
首はまた、左右に振られた。
何もしてあげられなかった私を、気遣ってくれているのか。
胸がチクリと痛んだ。
そして、ひどく不安になった。
咲耶さくやの魂は、これから一体どうなるのだろう?
そして、私の母の魂は、どこにあるのだろう?
咲耶さくやは、これから生まれ変わるの?」
コクリと頷く。
「そっちでおばあちゃんには会えたの?」
また、コクリ。
そうか。
私の母と娘は、あちらで出会うことができたのか。
そう思うと、なんだか少し救われた気がした。
そういえば、以前誰かが言っていた。
今生こんじょうで強いえにしで結ばれた魂は、転生しても必ず身近な人物として生まれ変わるのだと。
「ねえ、咲耶さくや。私達、来世でまた会える?咲耶さくやとおばあちゃんと私と。来世でまた家族になれる?」
少女は大きくうなずくと、もう行かなくちゃという素振りを見せた。
そして、ニッコリとほほ笑むとひらひらと手を振りながら駆けて行ってしまった。
周囲は再び、闇に閉ざされた。

どれくらいそうしていただろう。
暗闇の中で立ち尽くしていた私は、ふと我に返って右手を伸ばした。
伸ばした手が板壁に触れ、自分がこちらの世に戻ってきたのだと知った。
右手で板壁を触りながら進むと「極楽の錠前」が手に触れた。
御仏との結縁を祈り、さらに歩を進めて出口に辿り着く。

明るい場所に辿り着いて初めて、私は自分が泣いていることに気付いた。
とめどなく流れる涙は不思議なほど温かく頬を濡らし、私の心に固く固く凝っていたものを溶かしていくようだった。

-了-

第二回「絵から小説」について

清世さん、皆さま、こんばんは。
Atelier Crown*Clown(アトリエ クラウン*クラウン)のかおりんです。

この記事(作品)は清世さんの自主企画、第二回「絵から小説」に参加させていただくために執筆したものです。
「絵から小説」とは、「清世さんが描かれたステキな作品からイメージを膨らませて小説か詩を書く」という企画です。
清世さん、ステキな企画を立ち上げてくださり、ありがとうございました!

お題の絵は3枚ご用意くださっていたのですが、今回私はその中の「A」で参加させていただきました。
ほかに「B」と「C」のお題絵でも参加させていただいておりますので、もしよろしければ読んでみていただけますと嬉しいです。

■お題絵B参加作品:Chisaki-チサキ-
■お題絵C参加作品:Misha-ミシャ-

善光寺の「お戒壇巡かいだんめぐり(胎内巡たいないめぐり)」について

作品の中に登場する善光寺の「お戒壇巡かいだんめぐり」については結構有名なので、ご存じの方も多いかもしれませんが簡単にご紹介しておきますね。

「お戒壇巡かいだんめぐり」は、瑠璃檀るりだん下の真っ暗な回廊を巡り、ご本尊の下にかかる「極楽の錠前」に触れることで、ご本尊とのご縁が結ばれて極楽浄土行きが約束されるというものです。
また、この「お戒壇巡かいだんめぐり」は「胎内巡たいないめぐり」とも呼ばれており、真っ暗闇を通り抜けることで「死と再生」を疑似体験できるとも言われています。

東山魁夷館について

東山魁夷館は長野県信濃美術館に併設されており、東山魁夷氏から長野県に寄贈された作品や関係図書が多数収蔵されています。
2ヶ月に1度くらいの頻度で展示替えが行われているため、何度足を運んでも楽しめる素晴らしい美術館です。
善光寺さんからも近いので、長野に観光にいらっしゃる際にはルートに加えてみてはいかがでしょうか?

第二回「絵から小説」に参加させていただいて感じたこと

私はもともと文章を書くことは好きだったのですが、発想が凡庸な人間なのでオリジナルの小説を書くなどということはとても無理だと思っていました。
それが、たまたま清世さんの企画を目にし、ステキなお題絵に惹かれて、生まれて初めて「オリジナルの小説を書く」ということに挑戦させていただきました。
清世さんのステキな絵に引っ張っていただいたことで、未熟ではありますが何とか3作品を形にすることができ、今は密かに達成感に浸っています。
また、私は以前から「何らかの形で地域の観光振興に貢献したい」と思っていたこともあり、「自分の小説に、地元の観光地を絡めて紹介していけたら面白いかも」という欲も出てきて、今回はそれも含めて挑戦させていただきました。

清世さんとの出会い、Noteとの出会い、今まで投稿してきたさまざまな記事を閲覧してくださった皆さまとの出会いによって、自分1人では無理だと思っていたことに新しい一歩を踏み出せたことがとても嬉しく、ありがたく感じております。
清世さん、皆さま、本当にありがとうございました。
そして、これからもどうぞよろしくお願いいたします。

改訂履歴
2022/03/13 :新規

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?