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あの言葉の本当の理由を伝えたかった

私は父が37歳、母が29歳の時に産まれた子供だった。
今では全然めずらしくもない年齢だが、当時としてはかなり「歳をとってからの子供」という感じで、授業参観や運動会などで親が学校に来ると、若々しい同級生の両親に比べて自分の両親だけがひどく年老いて見え悲しい気持ちになったものだった。
今考えると父はともかく、母は他のお母さんとそれほど歳の差はなかったのだが、母は着物派(しかも好みが渋め)だったため子供の目から見るとやけに老けて見えたのだ。
そしてある時、子供だった私は何の気なしに母に「うちの親だけ歳をとっていて嫌だ」と言ってしまったのだ。
当然、母はその言葉にひどく傷付いたようで、私も(しまった)とは思ったのだが一度口から出てしまった言葉はどうすることもできず、気まずいまま有耶無耶にしてしまった。
その時、母は私の言葉を「自分の親だけ年寄りでみっともなくて恥ずかしい」という意味にとったのだと思うのだが、実は私の真意はそうではなかった。
その時にきちんと本当の気持ちを伝えればよかったものを、子供だった私は躊躇して伝えることができないまま話を終わらせてしまった。

それから長い時が流れ、私が31歳になったときのこと。
30歳を過ぎても独身でいる私に、母はちょいちょい「あんた、親が歳をとってて嫌だって言ってたくせに、自分は30過ぎてまだ結婚もしてないじゃない。」と勝ち誇ったように言った。
母にしてみたら軽い意趣返しのつもりだったのだろうが、それだけ母の気持ちは傷付いていたということだろう。
当時私はアマチュアの劇団に所属していて、その稽古の行き帰りに高校生の男の子(当時やっていた芝居に客演してくれていた子)の送迎を任されていた。
ひと回り以上も歳が離れた男の子と、車で片道1時間近くもかかる稽古場に通うというのは最初はお互いにちょっと気詰まりだったが、そこは芝居が好きなもの同士すぐに打ち解けることができた。
会話の内容も最初は芝居の話が主だったが、そのうちに雑談などもできるようになった。
そんな中で私はふと、子供の頃に「うちの親だけ歳をとっていて嫌だ」と言って母を傷付けてしまった話をした。
そして、その言葉の真意も。
それまで、誰にも話せなかったというのに。

私は小学校に入る前から「死」というものを強く意識し、恐れている子供だった(めったに風邪もひかないくらい、健康な子供だったのに)。
いつか、おじいちゃんも、おばあちゃんも、お父さんも、お母さんも死んで、そしてお兄ちゃんも自分も死んで、この世には誰もいなくなってしまう…そう考えたら、もう恐ろしくて恐ろしくてたまらなかった。
あれは多分、4歳か5歳の頃だったと思うのだが、思い詰めた私は母に「ねえ、いつかおじいちゃんも、おばあちゃんも死んじゃうんだよね?」と聞いたことがあった。
母は怪訝そうな顔をして「まあ、そりゃあそうだよね。」と答えた。
「お父さんもお母さんもいつか死んじゃうんだよね?」
「まあ、いつかはね。」
「お兄ちゃんも、かおちゃん(自分のコト)も?」
「うん」
「そんなのイヤだ!怖い!」
必死で訴える私を見て、母は「そんなの、イヤって言ったってしょうがないじゃない。」と笑った。
こんな恐ろしい話をしているのに、笑っている母のことが私には理解できなかった。
私が考える「死」と、大人が考える「死」は違うのだろうか?
私は「死」の恐怖を共有できる相手は誰もいないのだと悟り、1人でコタツに潜ってシクシクと泣いた。
そしてもう、このことについては誰にも相談するまいと心に決めた。

だから私は「うちの親だけ歳をとっていて嫌だ」の真意を母に話すことができなかった。
私が「嫌だ」と思ったのは、友達よりも自分の方が「お父さんやお母さんと一緒にいられる時間が短いのだ」と感じてしまうことだった。
でも、小学校低学年の子供が「両親との死別の時」のことを考え恐れていると知ったら、それはそれで母は傷付くのではないか?と思った。
そんなこんなで、私は母に本当の気持ちを伝えることができなかったし、大人になってからも伝えられずにいた。

この話を聞き終えた男の子は、しばらく黙っていた。
(なんか、変な話をして困らせちゃったかな…)と私が不安になったころに、彼は一語一語、言葉を選ぶようにこう言った。
「それは、お母さんにちゃんと話した方がいいんじゃないですかね。」
私が「そうかな?」と問うと、「そうですよ、絶対に。」と。
(そうか、この子がそういうのなら話すべきなんだろう。)
なぜか素直にそう思えた。
「そうだね、今度実家に帰ったらちゃんと話すよ。」というと、男の子は安心したようにニッコリと笑った。

だが、私が実家に帰る前に母は急に倒れて緊急入院してしまった。
検査の結果、末期がんだということがわかり、それから約1年後にあっけなくこの世を去った。

闘病中の母に、あの言葉の真意を伝えることなどはとてもできなかった。
だから私は、今も心の中で母に詫び続けている。
「お母さん、ひどいことを言って傷付けちゃってごめんね。」と。
母が亡くなって20年以上経った今も、ずっと。

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ITAKOTOプロジェクトの「#家族の心のこり」に参加させていただきます。

蛇足になりますが、ここまで読んでくださった方にお願いです。
私は母に「私はお母さんのことが大好きで、1日でも長く一緒にいたいと思っている。子供の頃に、うちの親だけ歳を取っていて嫌だと言ったのも、友達に比べて自分は両親と一緒にいられる時間が短いのだと感じてしまうのが辛いという意味だった。お母さんと死別するときのことは想像するだけで恐ろしくて、自分にはとても耐えられるとは思えない。」という気持ちを伝えることができませんでした。
でももし、私がこの気持ちを伝えられていたら、母はもっと自分自身を大切にして、健康にも気を配って、健康診断も定期的に受けてくれていたのではないか?と考えてしまうのです。

だから、もし今あなたに大切な人がいるのなら、自分がその人のことをどれだけ大切に思っているかを言葉にして伝えて欲しい。
できれば「今すぐに」。
そして、その人のことを大切に思うのと同じくらい、自分のことも大切にしてあげて欲しいのです。
人は大人になると皆、自分のことを後回しにしてしまいがちだけど、あなた自身だって「誰かの大切な人」なんだってことを忘れずにいて欲しいと私は切に願ってしまうのです。
あなた自身が、あなたの大切な人の「心のこり」を生んでしまわないように。

改訂履歴
2022/04/29 :新規
2022/04/30:一部記載を変更

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