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ラブ・ネバー・ダイ

2019/1/18
初日明けたばかりの、ラブネバー観てきました。再演。
わたし、自他ともに認めるファントムヲタな訳ですが(ガストン・ルルー原作からの、スーザン・ケイのファントム拗らせ)、正直LNDはそんなに好きな作品じゃないのですよ。
というのも、ファントムもマダム・ジリ、メグ・ジリはじめ、みんなキャラ崩壊してない?変節しすぎじゃない?(ラウルが一番びっくりだったけど、最終的にラウルの変わりようがまだ一番よくわかる)というところ、と、最後のくだりですね。あそこ、ダメ。

でも、めぐちゃんの舞台なので、観に行かない理由はないので、ね。
結論、言うと、よかったよ。おいらクリスティーヌ目線でダダ泣きだったよ。でも最後のくだりだけは突然の三文芝居でやっぱり、もうすこしなんとかならんかなぁ?なんて思ったけど、まぁそれでも良かったよ。
というか、Love Never Dieの歌詞ってクリスティーヌじゃなくて、ファントムの10年の思いだったわ、と今更ながら。そりゃそうだよね、ファントムが書いたんだからね。クリスティーヌの思い代筆したわけじゃなかったよ。
と言うことに気づいたら、もうだだ漏れ。


好き嫌い納得いくいかない置いといて、観るのだからちゃんとみよう、と、あれからの10年間どういう気持ちで、今、どういう気持ちで話しているのか、曲を書いているのか、ファントムとクリスティーヌそれぞれ、どんな思いなのか、を想像しながら(原作では最後のくだりどう描かれていたかを思い出しつつ)、観ました。ものすごく真剣に。
お互いがお互いに向けている「思い」だけをみていくと、そんなに齟齬はなく感じるのだけど、設定を考えると、ホントにありえないくらいに変わってる。そこまで変節してしまうには何があったんだろう?って行間埋めないと、私が納得できない。

それはまず、ファントムさん。と言うか、ファントムを取り巻く現状。
10年前(精神的に瀕死の状態でいたところ)、マダム・ジリに助けられ、アメリカ行きの船に乗せられてやって来たNY。でも、ほうほうの体で逃げ出したから資金もないし、(精神的に瀕死だから)自らを生かす術もないところ、追っかけてきたジリ母子に助けられ。今は、コニーアイランドの支配人、ファンタズマの興業主、マダム・ジリとメグの雇い主におさまっている。
ファンタズマで働く多くの人は、多分ファントムの存在は知らないけど、雇い主はMr.Yと言う人物であることは知っている。常の指示は、マダムからってことなんだろね。

ひとつめがそこ。ここが疑問。
ファントムの過去を一番知っているとはいえ、マダム・ジリがファントムを飼いならせるなんて、ありえないと思うのだけど?
マダム・ジリが、今のファントムの地位は全て自分たちが用意したと言ってるけど、え?マジ?それはあり得ないだろうし、自らそうできるほどの才覚がマダムにあるとは思えない。
ファントムがコニーアイランドを隠れ場所として作るに当たり、マダムに支指示をだして資金集めから何から手伝わせてという方向ならまだ分かる。彼自身は、表立って動くわけはなし、動けないから、パリからファントムを追ってマダムが来たのなら、自分の事を知っているマダムに仕事をやらせるには都合よかったはずだし、マダムも知り合いも仕事もないNYに来て生活していくには、ファントムのそうした才覚は必要だったろうし、渡りに船だっただろうことは想像に難くない。
有力な政治家や資産家を取り次いだのはマダム(がメグを使って)かもしれないけど、誰の所にいけとか指示だしていたのは、おそらくファントム自身だろうなぁと思う。
あ、そうか。ファントムの指示で動いていたけれど、実際にコニーアイランドを形作らせることが出来たのも、そして今「手慰み」にファンタズマの興行を行えているのも、自分たちのお蔭・手柄(演出・出演がジリ母子だし)だと思っているから、あの男、自身は何もしていないのに、そして築き上げた財産をあの女(の息子)にすべて渡そうとしている。となるのか・・・。
あ、決着ついたわ、この部分は。

女の思い込みとか執念って怖いな。。。
ところで、ファンタズマの興行だけど、頻りにメグが「あの人は観ていてくれたかしら?」って気にしているということは、作・演はファントム?という風に思えるのだけど、これは違うんじゃないか?と思うの。(前項で「手慰み」にファンタズマの興行を(ファントムが)行ってると書いたけども)
と言うのは、ファントムほどの才能を持ち合わせている芸術家が、手慰みにでも、正直あんな、キャバレー的なショウを書くかと思うと、それは「否」なんだよなぁ。どう考えても。「ドン・ファンの勝利」を書いたファントムが、♪水着の美女~なんて曲書くわけないと思うのだけど、私は。
お金を得る手段としてコニーアイランドがあり、ファンタズマの興行があるとしても、自分でショウを作ってお金を得ようなんて考えているわけないから、その辺は全てマダムの手腕だとは思う。し、彼女もパリ・オペラ座のバレエ教師していたくらいだから、その辺は手馴れているだろうし、オペラ座時代から、マダムの教師としての素質はファントムも大いに認めていたと見受けられるし。
だから、余計に「自分(達)」のものという思いが強くなったんだろうな、マダムは。


一応、外殻に関しては、腑に落とせたので良しとする。
あとは、ファントム、クリスティーヌ、メグ(とラウル)の気持ちと言うか、そのあたりを考えてこねくり回そうと思うの。長くなったのでとりあえず、切る。


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