『運命は踊る』
『FOXTROT』
監督・脚本:サミュエル・マオズ/出演:リオール・アシュケナージ―、サラ・アドラー、ヨナタン・シライ
2017年イスラエル=ドイツ=フランス=スイス
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息子が戦死した。と伝えられた両親。
それは、間違いで、全くの他人の戦死だった。
というところからの、話。
邦題から考えると、「運命」という大きな力には、誰にも抗えない。運命と言う大きな流れに奔流されて「踊らされる」人々の話かと思ったのだけど、そっち方向ではなかった、かな。
原題を前もって見ないという悪い癖があるもので、終盤になって、父親ミハエルが妻ダフネに、「こういうダンスを知っているか?」といってFOXTROTを踊って見せるのだけど、
”前へ前へ、右へ、ストップ。後ろ、後ろ、左へ、ストップ。”
結局は同じところに戻ってしまうという。その言葉を聞いて、あ、そういう意味だったか、と。
「運命」と言うものに、踊らされていたと言えば、そうだったのだろうけど、その渦中にいる間は、「運命」というもののことは、全く意識していなかった。結果、「それが運命だったのだ」と、ある意味受け入れる。
どんなに動いて変えようとしても、結局は決められた「元の場所に戻る」。
そこに行きあたる過程を変えることはできても、その場所は何があっても変えられないという事か?
印象的だったのが、父親ミハエルが、息子の訃報は誤報だったと知らされ、憤り気を失う直前に、丸窓から見ていたもの、が、蛾?(鳥か?)の大群が群れを成して、どことも行かず弧を描いて飛んでいる姿。同じ風景を、息子ヨナタンも任務に就いている国境警備で、「あること」が起こった後に見る。それも一つのFOXTROTだったのだなぁと。
地から飛び立ち、自由を得たように見えるけれど、結局はどこにも辿りつけずに同じところをまわっているだけ。
映画の構成とか、エピソードとかいろいろあるのだけど、全てが必要なことで、密接にかかわっていることなんだけど、その関わりが、ちょっと消化しきれていないというか、なかなか言語化できない、私。
多分、ラクダをあの時通してあげてなかったら、また違う運命になっていたんだと思うよ。
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