Mon Ange
『エンジェル、見えない恋人』2016年ベルギー
監督・脚本 :ハリー・クレフェン / 出演:フルール・ジフリエ、エリナ・レーヴェンソン、マヤ・ドリー
小さな恋の物語的な、ほんわかな感じ、でも物哀しい感じの映画かと思ってたのだけど、いい意味で裏切られたかな。
割と、ガッツリな、結構現実的なファンタジーだった。
あ、大人になったんだ。あ、大人の…
その人の存在を認める、その人がそこにいる、と確信できる第一義的な理由としては「見えること」になってしまうと思う。ただ「姿が見える」ということに限定すると、写真や映像でも存在を認めることに異議はないことになるけれども、今確実に目の前に「生きて」存在しているという事にはならない。見えているけれども、視覚でとらえる事だけが、その人が今ここに存在しているということにはならないと言うことは知っている。
視覚で捉えることが、まず最初にあっても、その他の条件、触れられることであったり、体温、息つかい、匂い、とか。実際は、そういうことすべてが整って、今、この人は私のそばに生きて存在して居てくれていると分かるのだけど、少女時代に目が見えなかったマドレーヌは、そのことを人一倍知っていたはずなのに、手術によって目が見えるようになった時に、いるはず(見える)と思っていたエンジェルが見えなくて、驚愕してしまう。
エンジェルは、自分自身、自分の姿を見ることが出来ないから、誰かに認めてもらう事で、自己の存在を認識していたから、マドレーヌの、ある意味その拒絶に自信を失い、隠れてしまうのだけど…。
後天的に持った「視覚」以外でエンジェルがいなくなったことを「感じた」マドレーヌは、彼が、彼の大好きな思い出の場所に行ったのだろうと思い、彼の後を追う。一度、彼がそこに連れて行ってくれた時、目を開けないでと言われ、瞑ったままに訪れたその場所に、また、1人で目を閉じて、その時の感覚を思い出しながら、湖のほとりの小さな小屋へ。
人を愛することは(=そばに存在を感じること)、決して視覚だけではなく、それ以外に、もっと大切で本質的なものがあると気づかせてくれるような。
そして、おとぎ話ではないから、存在しているのに姿が見えないという異常(ファンタジー)な設定なのだけど、ものすごく内容は現実的な愛。