私が怒ったのは、本質的な解決を試みないから。謝ってもその場しのぎだからだよ。



友人たちで飲んでいたときのこと。
ある人の悩みのため、前年と同じ愚痴を聞かされることがあった。

そんな時、

こういう専門家に相談しに行けば?
問題の主とカウンセラーに行けば?
と私がいえば、
いや、それに本人を連れていくことが無理。

生きがいを持ったらいいかと思い、

と趣味を仕事にする話をしても、
うちの先生は大人の講師を養成しないから、という。

働かないの、ときいても、
いまさら事務もねえ、という。

険しくとも、なにかのプロになる道もあるにはある。が、私は口をつぐんだ。
見事なまでに、でもでもだって、のオンパレード。

そっかあ。大変だねえ。
そんな感じである。

そこで次に会った時、根本的な解決をしないとだめなことをわかってほしくて、ある本を紹介した。つまり同じ愚痴3回目の巻。

専門家に相談するハードルが高いなら、せめてこれを読んでみてよ、と。
帰り際に書名を紙に書いて、ちぎって渡しまでした。

同時に、
この問題にあなたが関わってる点で、まだ救いはある!
ここでこうやって私がこの本を紹介できたんだから、絶対読んで!
と思いを伝えた。

次に会った時、彼女はまた同様の愚痴を言い始めた。
耐えられない、という。

あの本を読んだのになんにも変わってないのか?
読んだならもう少し私に違う話をしているはずなのになあ。

そこで一応私は尋ねた。
あの本、読んだ?

そうしたらその返し。

買う前に調べたんだけど、著者の人、なんか訴えられたんでしょ? だから、読まなかった。

はあ? それ関係ある?
たしかに当事者と相談に行くのはハードルが高い。
でも、1500円くらいの本、買ってみる気さえないの?
少なくとも私が勧めたのに、読む労力さえ惜しむの?
本代、時間とも捻出など造作もない人である。

私が勧めたことが彼女にとってそれほど意味を感じなかったのは仕方ないかもしれない。
関係性、というやつで、同級生ではあったが、私たちにそこまで深い歴史はないのだ。つまり、彼女にとって私は、自分と同等の人間の一人、という程度しかない。アドバイスにさしたる価値があると思っていないかもしれない。

もちろん、私も偉そうなことは言えない。
だが、少なくとも、その著者の本に書いてあることを知ったうえで問題を見ると、色んなことに説明がつくし、専門家の力を借りる必要性も理解できると思ったのだ。
知は力なり。

メカニズムがわかれば気が楽になるだろうし、次にとるべきアクションもみえてくるのでは、と。
だが、そんな私の熱弁も彼女に届かなかった。
本さえ買わなかったわけだから。
果たして本気で解消したいと思っているのだろうか?
そんな気さえしてきた。

彼女の言い分はこうだ。
もう我慢したくない。
カウンセラーに行くまでに、相手ともめそうでいや。
働くとか、新しい生きがいを見つける気は今更ない。
本を読むのも却下。

本を読むのは一番簡単だから、これぐらいはやってくれると思ったのだが。

そこまではっきりしたところで、ついに私は声をあげた。

Aちゃんは、自分の悩みが特別で、自分が世界一辛い思いをしていて、自分が世界一不幸で、誰も私のことは理解できない、みたいに思っているのかもしれないけれど、違うよ。
だいたいそういう問題には、あるメカニズムがあって、同じような人はごまんといる。似たような問題は既に解明されているの。
だから、その本を読めば、自分たちもあてはまって、根本的に手をうつしかないことがわかるの。自分の悩みは特別で深刻だ、と思いたいかもしれないけれど、ほぼ本に書いてある通りなんだよ。
悩むよりも、どうしたらいいかわかるほうがいいからと思って、紹介したのに。まずネットで調べたのも、Aちゃんがよさそうだと思える本だったら読もう、だったんでしょ? じゃあ、あれだけ私がアドバイスしてもまったく無駄だったということだよね。1500円の本さえ、だまされたと思って読む気がないなら、私としてもこれ以上なにもできない。

確かそういうようなことを言った。
そうしたら、その夜メールが来た。

もう愚痴は言いません。いつも明るい私でいます!

ずこー! 昭和のコントのように、私は椅子からすべり落ちたかった。
やっぱりわかってない。そうじゃないんだよ。愚痴を言うのを辞めればいい、ということじゃない。

私が怒ったのは、
原因解明に目をそむけて、本を買ってみる手間さえ惜しんで、まずネットで検索。そして自分の判断で却下したから。

まだなにも解決していない。だから絶対また言うよ。私に言わないだけで、どこかで言うよ。私に謝っても、私に愚痴るのをやめても、彼女の問題はなにも変わっていない。

何も言う気がしなかった。こういうことでメールの応酬をしても、よくないことになるので、避けたかった。

怒り、というより、ここまでくると、むしろ口惜しい。
自分の考えではどうすることもできず、今があるわけでしょ。
それでも、自分の判断で他人の推薦するものを的確に審査できる、という自信があるのだから。

あーあ。
メールを読みながらそうこう考えているうちに、問題が見えてきた。

彼女は、自分さえ我慢して、目の前の嵐を鎮めればいいと思っている。
自分がさっさと謝ることでこの場をおさめれば、それでいい。
長くそういう生き方をしてきたんだ、と。

だから、私が本気で怒ったことも、自らの愚痴のせいだと即結論づけたのだ。

Kちゃん(私)が怒ったから謝る。自分が愚痴を言わなければ、Kちゃんはもう怒らない、という論法なのだ。
もう少し聡明な人だと思っていた。

今は無力に感じても、直感的に真の助けを見きわめる勘ぐらい、持ち合わせていると思っていた。それが、せっかく調べたのに、著者に前歴があるという、本を読まない格好の理由を見つけてしまった。彼女はそれに飛びつき、本を読まないことを正当化してしまった。

問題の主とのかかわりのせいで、ここまで萎縮した思考回路になってしまったということか。いや、もともとそういうところを見抜かれて、問題の主に取り込まれてしまったのか。真相はわからない。

表向きは満たされた生活を送っている。悩みの根源の人とともに、これからも平和なふりをし続けていくのだろう。

簡単なアドバイスさえ実行せず、本質的な解決を試みようともせず、愚痴を言い続けると、私に怒られます

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Kaorin K.
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