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ヘビーメタルな母になる

強そうと言われてきた。
お酒に強そう、あらゆる話題に強そう、あるいはどんな逆境にも負けない。独立心が強い、キャラが濃い、変わり者、ヘンコ・・・。私だけが思っているのかもしれないけれど、周りが抱いている私と実際の私は違う。

私が思う強い人というのは、じゃりんこチエのように幼い時から自己主張をはっきりする、周りに敵なしなお転婆な人。あるいは、『風とともに去りぬ」のスカーレット・オハラのようなキリッとした台風の目のような女性。

私はどちらかというと、ふわふわと夢みがちな上に、他人と自分の境界線も曖昧なタチで、出会う人すべての悩み事を真剣に考えてしまうところがあった。ひどく泣き虫だったし、人の悪意というものに触れると、その人の意図する通りに傷ついた。幼い頃は、「気立てがいいねぇ」とも言われたけれど、「白豚」とも言われていた。白くて、ふわふわしていたから。

それでもずっと、私がそのままでいることを許されていたのは、周囲の悪意に勝る善意をもって周りの人が守ってくれていたからだと思う。本当は強くはないし、お酒にもめっぽう弱い。

アメリカで4年間、大学に通ったときに鎧のまとい方というか、理想の自分を演出するとでも言ったらいいのか、弱さを隠して外側により良い、強い自分だけを見せる術を身につけたけれど、30年が経ち、鎧も自分の皮膚の一部と化してもろもろと剥がれてしまった。20代後半などは会社の後輩などには最初怖がられていたらしいけれど、50過ぎると気のいいおばさんにしか見えないと自分でも思う。

よく道を聞かれるし、電車で隣り合わせた赤ちゃんなどを降りる頃には抱っこしていたりする。なんせ気持ちが顔に出てしまうタチなので、子供達に会えると思うと金曜日の昼頃からはニヤニヤして、「鼻歌が出てますよ」と言われる。

先日も、しょうもないことで娘の前で涙をこぼしてしまった。泣きたかったわけではないけれど、唐突に涙が出てきて、私も娘もびっくりしていた。今まで離婚のはざまにあっても、お金を使い込まれても、どんな時でも泣かなかったというのに、不意打ちの涙でそそくさと席を立った私に娘は何も言わず、見なかったふりをしてくれた。

その翌週に2人で買い物に行った時に「強そうに見えるネックレス買うわ」と言ったら、ゴールドのお店に並んでいる中で一番大きなチェーンのネックレスを娘が指差した。「えー、似合うかな」と言いながらもその気になる。店員さんにつけてもらうと、我ながらよく似合った(やれやれ、自分でよく言う・・・)。

「おお、強そう」
私の感嘆詞に茶目っ気たっぷりに笑った店員さんが「お強くなりたいのですか」と聞く。「そうね、そうなのよ」というと「十分強そうですけどね」といらんことを言う。そんな風に言われる隙ができたのは、良いことなのかしらん…。強いのは羨ましいけれど、怖いと言われるのはとっても嫌だからいいんじゃない、と自らを納得させる。

そういえば、私の祖母もとても芯のある、気の強い人だったけれど、70を越すあたりから涙もろくなっていたっけ。

せめて子供達の前では、強くて逞しい母であれますように、とゴールドのチェーンに願掛けをしてみる。それよりも涙が出そうなくらいの不安を伴う冒険をしない方がいいのでは、という客観的な心の声は聞かなかったことにしよう。



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