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【No.52】カルチャーショックを受けたこと

アメリカに行ったばかりの頃、あまりにもびっくりすることが多くて、挙動不審にキョロキョロしてばかりいた。
中には「それは私にとって、カルチャーショックだわ」と口にできるようなことではなく、静かに心の中でホホーッ!と叫び声を上げていたことがいくつかある。

例えば、寮ではトイレ、シャワーは共有で、一つの大きな部屋にトイレが3つ、シャワーが別の列に3つ並んでいた。トイレはよく映画なんかで見るような上下が大きく開いたやつで、誰かが入っているのが分かる。

初めての寮の生活で、恐る恐る自分のタオルや石鹸を持って、シャワールームにこもっていたら、向かい側の部屋に住む一つ年上の女子2人が賑やかに喋りながら入ってきて、1人は私の隣のシャワーに入り、1人はトイレに入り、距離が離れた分、声を張り上げて喋り始めた。

シャワーの水の流れる音の合間に、1人のオナラの音が聞こえる。それでも、2人は普通に喋り続ける。次第にオナラの音では終わらずに、ブシューブシューと派手に下痢をしている音がして、隣の女の子が吹き出すと、「お腹痛い。ファッキン下痢だわ」とトイレの女子。

そのやりとりに少しびっくりして、シャンプーの容器を落としてしまったら、「あら、誰かいるんだ」と言って、シャワー中の女の子が私のシャワーカーテンを無遠慮に開けた。「ファック」。私が毒付く番である。(冗談。言ってませんよ)

下痢とかオナラとか生理現象であるから、生活を共有する者として、その音をもシェアするというのは、なるほどと思う。ただ、高校生の頃、まだ「音姫」なるものが登場していなかった日本では、オシッコの音を聞かれないようにトイレを流すのが普通だった。今から思えばとんでもない非エコの所業だし、お腹が痛くても下痢の音を聞かれたくないから我慢するとかアホでしかないのだけれど、その当時の私にとってのデフォルトは、「汚い音を聞かせない」というものであり、アメリカに行った時の、あの衝撃は忘れようがない。

綺麗なイケてる女子でも、トイレではオナラをするし、オシッコの音も恥ずかしがらない。日本に帰ってきてからも「音姫」のお世話にならずに済む私の原点である。(←胸を張るな?いつでも聞かせてあげましてよ。ホホホ)

もう一つがスッポンポンで寝ること。映画で見ると顕著だなと思うのが、イギリスのお爺さんが白いフランネルのネグリジェみたいなのを着て、頭に房のついた帽子をかぶっているのに対して、アメリカの映画では全裸の人が多いではないか? 
イギリスのお爺さんについては、確認のしようがないけれども、友人の多くは裸で寝ている、ように思う。それは、セックスした後とかそんなのとは関係なくて、服を脱いで、シーツの間に体を滑り込ませて寝る。起きる時は何かを羽織っている。

4人の女性でハウスシェアをしていたことがあり、そのうちの1人が夜になって失恋の苦しさに「カオリ、ちょっと話聞いてよ」と度々駆け込んできたが、薄いものを羽織っていたけれど、ゆるゆるで下には何も着ていなくって「なんで脱いでんだ?」と最初はギョッとした記憶がある。彼女は裸で寝ていたのだ。
他の女友達も裸で寝ていたこともあり、私も挑戦しようとしたけれど、どうにも地震大国に生まれた日本人は「今天変地異があったらどうする?」とハードルが高い。下着やキャミソールなんてのも不十分だ。

夏の間、恋人と暮らしていた間は、「なるほど脱ぐ手間がなくて便利かしら」と不届きなことを思っていたけれど、日本に帰ってきたら空調がないから、暑い時はスッポンポンで布団を蹴飛ばしたら不都合(公害)、寒い時は廊下とかが寒すぎてトイレにもいけない。というのであっという間に高校時代のジャージ、それが古くなったら息子の小さくなったジャージ、それも穴が空いてしまい、姉のジム服のお下がりを着るようになった。

でも、日本にいても全裸で寝ているアメリカンはいるもので、以前、仕事で宿泊施設を手配をしようとした時に、「1人部屋でないと絶対に駄目。だって、私は服なんて着て寝られない」といった同僚がいた。
「え?」と思わず聞き返すと、「私は寝る時はマリリン・モンローなのよ」と言っていた。裸=マリリン・モンローとは、かなり乱暴だなと思ったけれど、裸で寝ることでモンロー様の気分ならば、とても良い習慣だと思う。
私は、別にセックスシンボルになりたくないから、今日も姉のお下がりのパジャマを着ることにする。

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