【No.50】アメリカ留学記 その4
寮の食事は一見すると、とても豪華だった。
しかし、見た目が味を左右することはあっても、超がつくくらい不味いものはどうしたって不味い。そもそも、味というより提供の仕方に問題がある。
生のブロッコリー、カリフラワー、「す」の入った固くて酸っぱい苺、泥の味がするナマズのゆでたもの、冷たいハンバーガー。幸いなことにそのくらいしか覚えていない。もっと酷いものもあっただろうに、1年間、私はそこの食事を食べ、大した量を食べていないのに15kgも太った。
おそらく「美味しい!」と喜んで食べていたアイスクリームに問題があるのだろうと思う。私は今でもアイスクリームに目がない。
カリフラワーもハンバーガーも食べられるようになったのだけれど、ブロッコリーはどうしても生食は無理だ。電子レンジでチンして食べていたけれど、別にそんな好きなわけではない。
あー、塩鮭食いてぇ、白い炊き立てのご飯がいい、パラパラした中華のスチームライスではなく。
その夢が叶ったのは、渡米してから1年以上が経ってから、シカゴに行った時のことだった。やはり都会にはなんでもある。鮭にこの値段?というほど高くて、しかも大きなのが2切れトレーに乗っていて、「一切れでいいから半額にしてくれ」と思ったけれど、その頃の私はなんでも食べ尽くしてしまうほど、食欲も体格も大きかった。
一番最初のルームメイトは、金髪のクルクルにパーマを当てた可愛いロビンという人。でも、ほとんど彼氏のところにいたために、入居してひとこと喋ったっきり話すこともなく、代わりに興味津々の彼氏が部屋に遊びに来ていた。
遊びに来ても、何を言っているのかわからない私に彼は非常に辛抱強かった。私が持っていた辞書をめくり、何を話しているか教えてくれて、発音の指導もしてくれた。本当に申し訳ないことに彼の名前も思い出せないのだけれど。どうでも良いロビンの名前だけ覚えていながら…。私の頭はバグっている。
同じ時期に何人か、全て眼鏡をかけた18歳の頃の私からしたら「オジサン」にしか見えない男性が英語を教えてあげようと言って尋ねてきた。1人はすぐに腰に手を回してくるし、もう1人は目のやり場に困るほどめちゃくちゃ短いランニングショーツを履いていた。
どうも私の男運は悪いらしい、と思ったのはその頃だ。初めて愛の告白をされた人は忍者オタクで「地下足袋」を履いていた。
夏休みが終わり、それまで住んでいたのが男性寮の臨時の部屋だったために隣の棟に引っ越して、そのときはひとり部屋に住むことにした。
しばらくすると滋賀県出身の友達が転がり込んできた。彼女は自分で留学費用を賄っていて、非常に貧乏ということだった。私は彼女のために、毎日チーズバーガーを二つ、カフェテリアからくすねてきた。彼女もみるみるうちに太ってしまった。
思えば、この当時にたくさんの人に出会った。日本の大学からの交換留学生も来ていたし、今でもお付き合いのある日本人の友人は1年目に会った人ばかりだ。2年目から別の場所に引っ越して、さらに1年間で3回くらい引っ越して、3回生になる頃には彼氏と同棲を始めた。今でも親には言っていない事実である。
私が到着した頃は、168円くらいの為替が、3年になる頃には86円になっていた。4年間で2回帰省したけれど、帰るたびにびっくりするくらい日本は変わっていた。だから、ネブラスカに帰ると少しホッとした。
穏やかで優しい彼氏と、いつまで経っても変わらない風景。勉強だけしていれば良い、とても恵まれた環境。もう一度行ってもいいよと言われたら、迷わず留学すると思う。この年でも。ただし、ネブラスカに行くかと言われたら、わからないけれど。