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【No.40】ワタクシが男であるという疑惑

「男らしいな」
久しぶりに会った友人から言われた言葉である。復職→離婚→給料アップを狙って転職に次ぐ転職→東京に単身赴任というのが私の、暫くぶりに会った彼女に対する近況の報告だったので、驚いたのかもしれない。
「男らしい」という言葉が何を意味するのかはさておき、強いということなのだろうと受け取って、とりあえず嬉しそうに歯を見せて笑っておく。
すると彼女は「本当は男じゃないの」と被せていう。
「かもしれないね」と笑って誤魔化す。どういう意味か、わからねぇ。

しかしながら、3人の子供の未来を背負って離婚するということの重責、大黒柱の役目を独りになって初めて痛感した。
転職して、東京に行って失敗だと気づいたらどうしたらいいんだろう。病気になったらどうしよう(とりあえず半年間は、有給休暇がないので風邪も引けない)。
先のことなど、どうにでもなる、心配してどうするといつもタカを括っていた私だけど、心細くなった。世の中の男性諸君が背負ってきた歴史を思い、自由奔放に生きられない人生をひしひしと感じた。

男が重責を背負い、女が楽をしているといっているわけではない。子持ちであるならば、どちらかあるいは両方で面倒を見るのは当然だ。私は、自分が支えてきたから思う存分に元夫は働けたのだと思う一方で、あまり仕事が好きではなかった彼が逆の役割を果たしてくれていたら、もしかしたら今の私たちの姿は違ったかもとも思った。「もし」はないけれど、彼は仕方なく仕事をし、私は家で自由に振る舞っているフリをした。実際には自由でもなんでもなくって、両方とも実際は、長い長い歴史に培われたアホみたいな枠組みに縛られていた。

そういう意味では、私は昔ながらの枠組みに嵌まらなかったのかもしれない。どうせやるならばと主婦のプロになってやろうと、料理本も片っ端から作り、お菓子もパンも毎日作った。掃除はあまり上達しなかったけれど、それは向き不向きがあるから仕方ない。
毎日、子供の友達を預かり、賑やかに暮らした。それはそれで、楽しかったし幸せだった。主婦として私はとてもスキルアップしたし、プロの家政婦になれると今でも思う。

フツーの主婦というものが冷蔵庫にあるありあわせの野菜でちゃっちゃと料理を作れるという人なのであれば、私はそうではない。計画を立てて、買い物に行って、子供達の喜ぶものを作る。いわば「男の料理」というやつだ。

・・・やっぱり私は、男なのか。
確かに、普通の母親になった女性よりは、男友達も多いかもしれない。男性といると気持ちが楽なことを知って、若い頃は積極的に友達に男性を選ぶことも多かった時期もある。
もう50になったら、男でも女でもどっちでも良いんだけれど、しかし「オッサン」と言われるのは抵抗がある。「爺さん」はもっと嫌。

子供達に「ババア」とか呼ばれているから、慣れてしまったのかな。子供達にとっては、私は唯一の母親。フツーではないかもしれないけれど、そしてそれが故に辛いこともあるかもれない(実際、一緒に住めていないし)けれど、あなたたちが親になった時に、枠が壊れていたら、少しは楽なのかもしれない、と思う。

枠組みの中の方が楽に生きられるという人も多いけれど、そろそろ社会的にぶち壊しても良い時期なのではないかと思う。

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