【No.59】ちょっと冷たいんやないの!
関東に住む人たちに問いたい。「やっぱり東京の人は冷たい」とか「そっけない」とか関西で言われていますけれども、なんとも思わないのかしら。
(いきなり喧嘩売るみたいで、ごめんなさい。半分冗談です)
千葉にいた甥が4月に帰ってきた。「関東は疲れる。もう帰りたくない」と関西の大学院に決めた後に言う。うちの長男も「東京の大学は嫌だ。早く関西に帰りたい」という。
「なんで?私は心地よいけれど」と言うと、「ババアは年取って何も感じなくなったんやろ」と失礼なことを言う。
色々と話をしていると、大学のイベントか何かで発言をしたところ、「公の場では、標準語を使った方がいいよ」と言われて不快な思いをしたという。それ以来、そのクラスメートとは一言も口を利いていないという長男、相変わらず強情だ。
「なんと! 冗談みたいなこと言われてんな。どっちが上方か教えたらなあかん」と言うと、「そう。僕は絶対に上京なんて言葉は使わん」と我が意を得たりと頷いた。
そもそも人がどうして訛るのか、その子は知らないのだろう。江戸の言葉がすぐに使えたら苦労はしない。標準語を使っているつもりでも「ひゃあ、すごい京都弁」と言われる私。イントネーションが直らない。というか、別に直すつもりもない。
広い世界を見れば、中国では「中国語」なるものはあるけれども、発音が違うために分からないことがあると同僚が言っていた。アメリカだって、生まれた階級や人種、場所によって発音が違う。クリントン元大統領は、選挙キャンペーンの時に知的階級であることを示すためにボストン訛りを導入したらしいが、どれが「スタンダード」なのかということはない。
日本と同じような島国のイギリスでも、いくつかの言語があるのだけれど、「英語」に統一される時にはかなりの抵抗があると聞いた。でも、それぞれのオリジンに誇りは持っていて、私のスコットランドの友人は背中にセルリッシュ(?)でタトゥーをしていた。
なんなら、こうやって仕事で原稿を書いている時は、東京の言葉を使ってあげてるんやけど。フツーに関西弁でも書けるし、通じると思うねんけど、どないやねん。
確かに人とのコミュニケーションの距離感も違うなとは、思う。
例えば、咳をしている同僚がいたら、関西の人であれば「え? 風邪なん? 大丈夫?」と聞き、「大丈夫」と言われても、「薬飲んでる? 何飲んでるん? 私よく効くのを持ってるからあげるで」という。(…もしかしたら私だけかしら?)
でも、関東の人は「大丈夫」と言われたら、それ以上は聞かない。
私もシングルマザーで単身赴任というと、関西であれば、どうやって日々を過ごしているのか、お金はどうしているのか、養育費をもらっているのか等々、身の上話を延々と話さなければいけなくなり、おまけに不要の同情をいただくところが、東京ではこちらが話さなければ何も聞かれない。それは心地よい。
でも、いつのまにか聞かれもしないことを語り出すのは、私の関西人であるが故なのか、単に「喋り」なのかどうかは分からない。