サビアンシンボルとことわざと
2018年3月10日のツイートまとめです
#サビアン一首 やサビアンシンボルを下の句に使った #アストロ短歌 、そして「五文字くらいでサビアンシンボル」に #サビアンシンボル物語 。当番はサビアンシンボルを題材にして手を替え品を替え360度を周回している。これらに共通していることは何かと言うと。「丸暗記ではなく、読んだものを別のかたちに落とし込むとしたらどうするか? を考えることで理解し覚える」ということ。
何かを覚える・理解するというのは頭の中に覚えるべきことがそのまま入るというだけのことではなくて、「その骨組がわかる」ということ、「別のかたちへ転用したり、必要な状況で使ったりできるようになる」ということ。サビアンシンボルはそのままではことわざのようなもの。ことわざを使おう。
ことわざや故事成語、四字熟語を百も千も丸暗記だけしていたって、それだけではしょうがない。「ああこれが『負うた子に教えられて川を渡る』ってことか」「ああこれが『禍福は糾える縄の如し』か」と人生で、あるいは物語の中で触れて実感するとき、ことわざは生きる。サビアンシンボルだって同じよ。
自分の実体験だけでは、ことわざに言われているようなことすべて、サビアンシンボルに表現されているようなことすべてを体験しきることは難しい。だから他人の体験談や架空の物語に耳を傾け、仮想現実の中でたくさんの状況に触れていくことが大事になる。
私が映画を観て「この映画はサビアンシンボル○○の世界だから、○○について体感してみたいひとは観に行くといいよ」とたびたび言うのはそのため。サビアンシンボルは単なる遠い世界のよくわからないことわざではないよ。この現実に生きるひとたちが綴る物語とも繋がりのあることを言っているんだ。
普通のことわざだって同じなんだけどね。経験がことわざを生み、ことわざにより「いま自分がした経験はそういうことだったのか」という整理をつけられるようになる。名前と中身、ことわざと経験が噛み合わないままネームタグのようにことわざばかりを集め回っていてもしかたがない。
だけど、「それに名前がついている」「名前だけは知っている」も全面的に悪いというわけではないのね。名前だけ知っていたことにそっくりなことを身をもって経験したときに「これがあの『取りつく島なし』ってことか!お噂はかねがね!」と結びつくことだってあるんだもの。
あるサビアンシンボル、あることわざの状況を描いたような作品が見つからない。そんなときは作ってしまえばいいの。サビアンシンボルやことわざの意味を解説してあるテキストを読んで、まさにそんな状況の短い物語を作ってみる。文章より絵やマンガが得意ならそれでもいい。
「サビアンシンボルの意味を解説してあるテキストを読んで、まさにそんな状況の短い物語を作ってみる」難しいと思う? #アストロ短歌 の下の句にサビアンシンボル入れてるひとは毎回それをやっているんです。しかもハウスサイン天体も織り込んで。あれは三十一文字のアストロショートショートなのだよ。
アストロダイスに30面ダイスを加え、度数のサビアンシンボルまで入れて #アストロ短歌 にする。この練習を地道に続けてきたひとは、始める前よりかなりの数のサビアンシンボルを覚えることができたのではないかしら、いかが?度数でパッと浮かぶシンボル、アストロ短歌以前より増えた?
サビアンシンボルを入れずにハウスサイン天体だけで #アストロ短歌 を作り続けてきたひとも、ハウスサイン天体の組み合わせからシチュエーションを作り上げる力がついたのではないかしら。