2024年4月24日のツイートまとめに加筆したもの。『星の王子さま』の話。
「♉️11私だけの花」解説ページを再編集のために読み返していて気がついた。『星の王子さま』で王子さまが「寄せ算ばっかりしている『赤黒先生』」について飛行士に語って聞かせる場面がある。この「赤黒先生」は王子さまが地球へやってくる前に遍歴した星々のうち「実業屋の星」にいた人物のことだと思われる。
(「♉️11私だけの花」解説ページはリンク先)
「ぼくの知ってるある星に、赤黒っていう先生がいてね、その先生、花のにおいなんか、吸ったこともないし、星をながめたこともない。だあれも愛したこともなくて、していることといったら、寄せ算ばかりだ。そして日がな一日、きみみたいに、いそがしい、いそがしい、と口ぐせにいいながら、いばりくさってるんだ。そりゃ、ひとじゃなくて、キノコなんだ」 「キノ……?」 「キノコなんだ」 王子さまは、もうまっさおになっておこっていました。 「花は、もうなん百万年も前から、トゲをつくってる。ヒツジもやっぱり、もうなん百万年も前から、花をたべてる。でも、花が、なぜ、さんざ苦労して、なんの役にもたたないトゲをつくるのか、そのわけを知ろうというのが、だいじなことじゃないっていうのかい? 花がヒツジにくわれることなんか、たいしたことじゃないっていうの? ふとっちょの赤黒先生の寄せ算より、だいじなことじゃないっていうの? ぼくの星には、よそだとどこにもない、めずらしい花が一つあってね、ある朝、小さなヒツジが、うっかり、パクッとくっちまうようなことがあるってことを、ぼくが――このぼくが――知ってるのに、きみ、それがだいじじゃないっていうの?」
サン・テグジュペリ 『星の王子さま』内藤濯訳 岩波書店 「寄せ算ばかりしているふとっちょの赤黒先生」というのが「実業屋の星」にいた、何でも金銭価値に換算して帳簿につける作業ばっかりしている男を指すことは前からわかっていた。でも、その金勘定ばかりの実業屋を王子さまが「赤黒っていう人がいてね」「赤黒先生」と呼ぶ理由が当番には長年わかっていなかった。
今日いきなり「赤黒先生」の謎が解けた。これ「赤字と黒字」で「赤黒」だ! 簿記においてマイナスの数字を赤インクで、プラスの数字を黒インクで書くのってどこの国でも共通なのね。「赤字」って言ったら「マイナスなんだな、儲からなかったどころか損ばかりだったんだな」という意味になるのも共通。ああ、そりゃあ何でも金勘定して損か得かってやってる実業屋のことを「赤黒」って呼ぶわと納得した。
なぜ急に疑問が解決したかと言うと、今日「赤黒伝票」を作ってたから。ある伝票に誤りがあったときに、まず内容を打ち消すマイナス伝票(赤伝票)を作って、次に正しい伝票(黒伝票)を作るのね。
「寄せ算ばかりの赤黒先生」って、そうか赤黒伝票、赤字黒字の赤黒先生かあと思ってさ。そして当番も赤黒先生の端くれの端くれだな、帳簿作って赤いの黒いのってやってるんだもんな、と思った次第。疑問は解決したけれど「なぜ赤黒先生なんだろうな」と思いながら読んでた頃から長い長い時が経ったな。おとなになって自分も赤黒先生の端くれの端くれみたいな仕事をすることになるとは、小学生の頃には想像もしていなかった。
この「寄せ算ばかりしている赤黒先生」は岩波書店版『星の王子さま』(訳は内藤濯)での訳語。そういえば元のフランス語では「赤黒先生」って何て呼ばれているんだろう? と検索の旅に出た。「le petit prince rouge noir」では出てこなくて(le petit prince という商品名の赤ワインばかりヒット)、結局「星の王子さま 原文」で検索したら個人サイトがヒット。
個人サイトありがてえー、ちょうど探していた「王子さまが赤黒先生の話をする章」を仏文・英文・和文と三ヶ国語並べて全部書いてくれている。なんと内藤濯訳の「赤黒先生」はフランス語ではun Monsieur cramoisi 、英語では a crimson gentleman 。つまり「赤色の人」だ。
後の方で王子さまはこの寄せ算氏のことをフランス語で un gros Monsieur rouge 、英語だと a big gentleman red と呼んでいる。「お偉い赤字大先生」みたいな感じだ。
上記サイトの管理人 Blue Baobab さん(お名前に思わずニッコリ)に感謝しつつ、孫引きで当該部分のフランス語を引用させていただくことにする。
– Je connais une planète où il y a un Monsieur cramoisi. Il n’a jamais respiré une fleur. Il n’a jamais regardé une étoile. Il n’a jamais aimé personne. Il n’a jamais rien fait d’autre que des additions. Et toute la journée il répète comme toi : « Je suis un homme sérieux ! Je suis un homme sérieux ! » et ça le fait gonfler d’orgueil. Mais ce n’est pas un homme, c’est un champignon ! – Un quoi ? – Un champignon ! Le petit prince était maintenant tout pâle de colère. – Il y a des millions d’années que les fleurs fabriquent des épines. Il y a des millions d’années que les moutons mangent quand même les fleurs. Et ce n’est pas sérieux de chercher à comprendre pourquoi elles se donnent tant de mal pour se fa- briquer des épines qui ne servent jamais à rien ? Ce n’est pas important la guerre des moutons et des fleurs ? Ce n’est pas plus sérieux et plus important que les additions d’un gros Monsieur rouge ? Et si je connais, moi, une fleur unique au monde, qui n’existe nulle part, sauf dans ma planète, et qu’un petit mouton peut anéantir d’un seul coup, comme ça, un matin, sans se rendre compte de ce qu’il fait, ce n’est pas important ça !
Le Petit Prince 原文 Blue Baobab Africa Online より孫引き このムッシュー・ルージュ(またはクリムゾン)、内藤濯はよくも「黒」を添えて「赤黒先生」と訳してくれたもんだよ。直訳なら「赤氏」とか「お偉い赤先生」とかになってたところで、「金勘定の寄せ算ばかりして花も嗅がなければ星を見上げもしない」辺りから意訳したなら「赤字先生」になってたとこだ。
「たったひとつしかない大事な花をヒツジが食べちまうかどうかよりも、お偉い赤字先生の寄せ算の方が大事だっていうの?」だったらこども時代の当番も「赤字ってなんだ?」でその場で辞書を引いてたろうし「お偉い赤大先生の寄せ算の方が大事だっていうの?」だったら多分お手上げだった。
「赤黒先生」も「赤黒伝票」が結びついて「ああ、赤字だ黒字だって帳簿ばかり見てる銀行家だから赤黒なのか」とわかるまでに40年かかっちゃったけども、「赤先生」と訳されていたらたぶん未だにわかってなかったわ、これ。新訳だとここどうなってるんだろ。「赤字先生」だとわかりやすいんだけどな。
ここまでが4月24日の連投。以下、同日帰宅後の追記。
サン・テグジュペリ『星の王子さま』は日本では岩波書店が翻訳出版権を独占していたのだけど、その期限が2005年12月31日をもって切れた。そのため2006年からたくさんの新訳『星の王子さま』が出版されている。当番は内藤濯(ないとうあろう)訳の岩波書店版で育っていて、所々訳しかたにアレレと思うことはある※けれどやっぱり内藤濯訳がいちばん愛着があるんですよね。初めて読んだ訳だし、長い間ずっと読んでるので。
(※アレレな箇所「あんたが、あんたのバラの花をとてもたいせつに思ってるのはね、そのバラのために、時間をむだにしたからだよ」の部分は「むだにした」よりは「ついやした」にしてほしかったな、とか)
でも、un Monsieur cramoisi あるいは un gros Monsieur rouge と原文では「黒」抜きの「ムッシュー・赤」を他の翻訳者がどう訳したのか無性に知りたくなって、すぐ手に入るものを何種類か買ってきました。紙の書籍で三冊、電子書籍で二冊。
向かって左から岩波書店・講談社・新潮社・KADOKAWA 向かって左から内藤濯訳(岩波書店)、三田誠広訳(講談社青い鳥文庫)、河野万里子訳(新潮文庫)、管啓次郎訳。岩波書店版は当番幼少期から持っている古いもの。この他に電子書籍で池澤夏樹訳(集英社文庫)、浅岡夢二訳(ゴマブックス)を調達。ゴマブックス版はKindle Unlimited で0円でした。
先に引用した内藤濯訳を除き、三田誠広版から順に赤黒先生パートを引用していきます。
「ぼくの知っている星に、まっかな顔をした、とてもいそがしいおじさんがいたんだけど、その人は花の香りをかいだことがないんだ。夜空の星をしみじみと見上げたこともない。人を好きになったこともない。数字のたし算にしか興味がなくて、朝から晩まできみみたいに『ぼくは大事なことでいそがしい』と言って、ふんぞりかえっている。まったくの、トウヘンボクだ。」 「なんだって?」 「わからずやのトウヘンボク!」 王子さまは顔をまっさおにして言った。 「何百年も前から、花にはトゲがある。何百年も前から、ヒツジは花をたべてきた。それなのになぜ、花にはいまだにトゲがあるのか、そのわけを知ろうとすることが、どうでもいいことなの? 花がヒツジから身を守ろうとすることが、無意味だっていうの? わからずやのおじさんのたし算のほうが大事なのかい? ぼくは知っているよ。世界のどこにもないひとつだけの花が、ぼくのふるさとの星にある。その花を、ある朝小さなヒツジが、うっかりパクッとたべてしまうことが、たいしたことじゃないっていうの?」
『星の王子さま』三田誠広訳 講談社青い鳥文庫 ムッシュー・クリムゾンは「まっかな顔をしたおじさん」と「顔が赤い」と解釈、「シャンピニオン(キノコ)なんだ」は悪口であることを強調して「トウヘンボク」と意訳してある三田誠広訳。講談社青い鳥文庫という児童向けレーベルゆえに、現代っ子にわかりやすい語彙。「唐変木」も「トウヘンボク」とカタカナ表記に、更に「わからずやの」まで補ってある親切さ。
「ぼく、まっ赤な顔のおじさんがいる星に、行ったことがある。おじさんは、一度も花の香りをかいだことがなかった。星を見たこともなかった。誰も愛したことがなかった。たし算以外は、なにもしたことがなかった。一日じゅう、きみみたいにくり返してた。『大事なことで忙しい! 私は有能な人間だから!』そうしてふんぞり返ってた。でもそんなのは人間じゃない、キノコだ!」 「え?」 「キノコだ!」 怒りのあまり、王子さまはまっさおになっていた。 「何百万年も昔から、花はトゲをつけている。何百万年も昔から、ヒツジはそれでも花を食べる。なんの役にも立たないトゲをつけるのに、どうして花があんなに苦労するのか、それを知りたいと思うのが、大事なことじゃないって言うの? ヒツジと花の戦いが、重要じゃないって言うの? 赤い顔の太ったおじさんのたし算より、大事でも重要でもないって言うの? ぼくはこの世で一輪だけの花を知っていて、それはぼくの星以外どこにも咲いていないのに、小さなヒツジがある朝、なんにも考えずにぱくっと、こんなふうに、その花を食べてしまっても、それが重要じゃないって言うの!」
『星の王子さま』河野万里子訳 新潮文庫 河野万里子訳でも、ムッシュー・クリムゾンは「まっ赤な顔のおじさん」。キノコはそのままキノコ。王子さまや飛行士の喋りかたは内藤濯訳に近く、でも地の文が「です・ます」調である内藤濯訳に対して、河野万里子訳は地の文が「だ・である」調。
「おれが知っていた星にね、赤ら顔をしたおじさんが住んでいた。この人は花の香りなんて絶対にかがなかった。星を見つめることもなかった。だれも愛したことがなかった。計算する以外、何もしなかった。それで一日中、おまえみたいなことばっかりいってるのさ。『私はまじめな人間ですよ! 私はまじめな人間ですよ!』って。それでうぬぼれでぱんぱんにふくらんでね。でもそんなやつは人間じゃないよ、そんなやつはきのこだ!」 「何だって?」 「きのこだ!」 ちび王子は怒りですっかり青ざめていた。 「花は何百万年もずっと棘をつけてきたんだ。それでも羊は何百万年も花を食べつづけてきた。それなのに、花があんなに苦労してまで何の役にも立たない棘をつけるのはなぜなのかを知ろうとすることが、まじめなことじゃないっていうのか? 羊と花の戦いが、どうでもいいことだっていうのか? 太った赤ら顔のおじさんの計算よりも、こっちのほうがまじめで重要だとは思わないのか? そしてね、もしおれが、おれの星にしかなくて他のどこにもない世界にひとつだけの花を知っていて、そいつがある朝、何の考えもない子羊にあっさり食われてしまうかもしれなくても、それもどうでもいいってうのか!」
『星の王子さま』管啓次郎訳 角川文庫 「おれ・おまえ」喋りをする王子さま!le petit prince は「ちいさな王子さま」だから確かに「ちび王子」と訳してもいいだろうけども、けども! 衝撃の管啓次郎訳。
――ボクは、赤ら顔のおじさんが住んでいる星を知っている。 そのおじさんは、花の香りをかいだことなんかいちどもない。星を見たことだっていちどもない。人を愛したことだっていちどもない。 いつも、いつも、計算ばかりしているんだ。 そして、一日中、キミみたいにくり返している。「ああ、忙しい! ああ、忙しい!」 そうして、自分を偉いと思っているんだ。 そんなの人間じゃない。 まるでキノコじゃないか! 「何だって?」 ――キノコだよ! 王子さまは、怒りのあまり、青ざめていました。 ――何百万年も前から、バラの花はとげをつけてきたんだ。それなのに、何百万年も前から、ヒツジは花を食べてきた。そんなふうに何の役にも立たないとげを、どうしてバラがずっとつけてきたのか、その理由を知ろうとすることが、それほど大切なことじゃないって言うの!? ヒツジとバラがやってきた戦いに意味がないって言うの? そんなことよりも、赤ら顔のおじさんの計算のほうが大事だって言うの? ボクの小さな星にバラの木があって、宇宙でたったひとつの花を咲かせたのに、それをヒツジが食べてしまうんだ。なのに、それが大切なことじゃないって言うの?
『星の王子さま』浅岡夢二訳 ゴマブックス 王子さまの一人称がカタカナの「ボク」な浅岡夢二訳。なお、このKindle Unlimited で無料のゴマブックス版は挿絵がサン・テグジュペリではなく葉祥明。献辞で「こどもだった頃のレオン・ウェルトに(捧げる)」を「レオン・ウェルトのインナーチャイルドに」と訳出しているのにちょっとのけぞる。インナーチャイルドてアナタ。
あと、この王子さまの長台詞、原文を何度注意深く読み返しても fleur は一貫して fleur であって rose という表記はいっぺんも出ていないのに、浅岡夢二訳では途中から王子さまがバラ、バラと三回も連呼している。それってどうなの。この場面は7章で、王子さまが地球のバラと出会い、故郷に残してきた「たった一輪の大切な花」がバラであることを知り、それが地球ではひとつの庭に五千も咲くありふれた花だと知ってショックを受ける場面は20章。そこまでバラのバの字も出ないからこそのドラマティックさなのに、こんな手前の場面で原文に書かれてもいない「バラ」を訳文でお出ししてきちゃあいかんのではないかしらん。
「ぼくの知っているある惑星に、真っ赤な顔をした男の人がいる。その人は花の匂いを嗅いだことがない。星を見たことがない。誰かを愛したこともない。計算以外のことは何一つしたことがないんだ。1日に何度も何度もその人はきみみたいに言うんだ――『私はとても重要な人物だ!』って。見栄ですっかりふくらんじゃってる。人間じゃないんだよ、そんなの。キノコなんだ!」 「なに?」 「キノコなんだ!」 王子さまの顔は怒りで青ざめていた。 「花はもう何百万年も前からトゲを生やしている。それでもヒツジは何百万年も前から花を食べている。なのに、何の役にも立たないトゲをどうして花がわざわざ生やすのか考えるのは重要じゃないって言うの? ヒツジと花の闘いは大事じゃないの? 太った赤い顔の男の人の計算より重要でも大事でもないって言うの? ぼくの星には他の場所には生えていない、世界中でたった一輪の花があるけど、なんにも知らないヒツジがある朝、ぱくっと食べてしまったらその花はなくなっちゃうんだ。なのにきみは、そんなことは大事じゃないって言うんだ」
『星の王子さま』池澤夏樹訳 集英社文庫 池澤夏樹訳もムッシュー・クリムゾンは「真っ赤な顔をした男」。後の章にある実業屋(内藤濯訳。池澤夏樹訳だと「ビジネスマン」)の挿絵を見ると「まあ顔は確かに赤いかな……でもクリムゾンというほどではないな」という顔色。ちょっとドナルド・トランプの雰囲気がある(つまりクリムゾンと言うよりオレンジ色)。
こうして内藤濯訳を含めて六パターン突合せてみると、内藤濯訳の「赤黒っていう先生がいてね」はわりあいクセ強な訳だったんだなと思う。他はみんな「顔が赤い(まっかな、赤ら顔の)おじさん・男の人」という解釈。
当番は「赤黒先生」、やっぱり好きですけどね。「顔が赤黒い(赤ら顔を通り過ぎた濃い赤、クリムゾン)から『あかぐろ先生』」なのかもしれないし、赤字だ黒字だと金勘定ばかりしているから「あかくろ先生」というダブルミーニングなのかもしれない。それとも、「赤字黒字で赤黒先生」というのは週五日間せっせと寄せ算(足し算)をして赤字だ黒字だとやっている経理の民・当番の職業柄から来る深読みかしら。
なお「赤黒伝票」は「あかくろでんぴょう」と読みます、「あかぐろ」ではなく。「赤伝票(赤伝)」と「黒伝票(黒伝)」をセットで切るから「あかくろ伝票」。もしかして内藤濯訳の「赤黒先生」の読みがなは「顔があかぐろい『あかぐろせんせい』」なのかもしれないけれど、当番の脳内読み上げは「赤字黒字の寄せ算ばかりしている『あかくろせんせい』」です。