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「同い年の友達」のありがたみ

今日は雑談noteです。

誕生日直前に、たまたま2日連続で同い年の占星術友達と顔を合わせる機会がありました。当番、ここぞとばかり最近あらためて気付いたことを友へ報告。

(「同い年」とバラしてしまうことになるので、星友ふたりの名は伏せます)

当番「あのね、昔はね、『歳を取ることなんか何でもない』と思ってたのよ。『何も変わることなんかないじゃないか』って」

星友A「うん」

当番「実際歳を取ってみて初めて『歳取りたくねぇー!』って思うようになったwww」

星友A「わかるwww」

当番「(手元の小さな金具を指して)見えんwww」

星友A「www」

当番「あと、こういう話って自分より歳上の友達にも言えないし若い友達にも言えない。同い年の友達のありがたみをあらためて感じる」

星友A「www」

翌日

当番「……という話をAさんとしたのよ。いやぁ同い年の友達プライスレス」

星友B「歳上だと『まだまだ若いわよ!』と言われるし」

当番「それ! 歳下だと実感湧かないだろうし」

星友B「ねーwww」

(中略)

当番「20歳の頃に戻りたいかと言えば戻りたくはないけどね。今戻してもらえるなら30歳かなあ」

星友B「今(実年齢)の経験値のままで(30歳に)ね。あっ、でも視力は15歳の頃に戻りたくない?」

当番「戻りたいwww」

星友B「ねー、原稿がね!」

当番「昼間はいいけど夕方から急にガクッと(見えづらく)ならない?」

星友B「なるw」

いや、本当にねえ。若い頃の当番は「同い年の友達のありがたみ」がわかってなかったなあと思います。学校に通っていたような時分にはね。同い年で集まっている中で友達付き合いなんて、ヌルいと思っていました。同級生や同期生たちが「たった1年、学年や入社年次が違うだけでもう声のかけかたや受け答えのしかたがわからない、もっと歳上やもっと歳下だともう何を話していいかわからない」と同い年同士で固まっているのに首を捻っていた若当番でございました。同級生も同期も、言ってみれば歳が同じであるだけで背景も出身も違うのに、そこへは目をつぶって「同い年だから話が通じる」と思い込んでいるのは変じゃないかと思っていました。同い年でも全員違うことには変わりないのだから、年齢で分けずに歳上歳下とも話せばいいだけだし、歳上歳下に対して置いた方がいい距離感は同い年にも置いた方がいいんじゃないかって。

うん、しかし、ここまで歳をとってみると見えるものが変わってきます。「歳上の友にも歳下の友にも言いづらいが、同い年の友になら言える話題」というものが確かにあります。若かった頃よりも現在の方が、同い年(同学年)の友とうまく付き合えている実感があります。西洋占星術をやっていると大先輩から10代まで幅広い年代の人と星の話ひとつを共通項としてお近付きになる機会があります。色々な世代の人とお話をしてみて、「一周回って同い年っていいもんだなあ」と感じている2024年冬。

もっとも、「同い年で、しかも西洋占星術仲間」というのは、実はレア中のレア友ですけどね。いやあ、同級生(出身校は別々だけど)の星友得難し、ありがたし。なにしろ木星から先がみんな同じサイン。通ってきたライフコースは三者三様に違うし見てきた景色も違うし、現在地もみんな違うけれど、違う場所違う立場で同じ時代の空気を確かに吸ってきた実感がある、話すとわかる。それを個人の経験から語ることも、星の観点から突き放して語ることもできる。おかげで話の通りが速い速い。

別件。

もともと視力がよく、これまで視力矯正具のお世話になったことがほとんどない当番ですが、最近そろそろ限界です。たぶん2025年には満を持しての老眼鏡デビューです。ちょっと乱視も入っている自覚があります。なぜそう感じるかというと、西の空に現れる金星を毎晩見上げているんですが、その金星がちょうど直径ひとつ分左右にブレて、ピーナッツの殻みたいな形に見えるからです🥜。こんなことで目の異変に気付きとうなかった……

なにしろ眼鏡経験値が低いので、自分の顔立ちに似合うフレームの形さえわかりません。眼鏡を買う前にイメコンサロンに行ってだいたいの傾向を掴もうかなと企んでおります。

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星見当番
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