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「雨の匂い」の言語化を試みる

昨日のこと。Twitter(自称X)で「雨の匂い」の話題が少しバズッていました。

トレンドに「雨の匂い」が。雨が降った時のペトリコールじゃなくて、降る前にふっと匂いがすることってありますよね? だいぶ前の脚本でヒロインに「あっ、雨の匂い」って言わせたら、監督から「こういう超能力みたいな描写はしたくないです」と言われて、困惑したことを思いだしました。

アニメ脚本家 金春智子さんのツイートより

超能力……「雨の匂いがわかる」というのは超自然的な能力、神通力の類ではないし、「物理的には存在しないはずの何かを『匂い』という感覚として感知している」という意味での超能力でもないですね。「雨の匂い」はとても弱い匂いだけれど確かに存在するし、それをわかる人というのは、わからない人よりも鼻が利き、また嗅ぎとった匂いの分類・紐付け・名付けに長けた人です。能力は高いけれど「超」能力ではない、と当番は思っています。

「『雨の匂い』がわからない」と思っている人も、雨の匂いが漂っているときは雨の匂いを吸い込んでいるし、それと気付かずに雨の匂いを「嗅いで」はいると当番思うのですよ。だけど、たとえば楽器の音がひとふし鳴ったとき、経験から「これはオーボエの音だ」「これはラの音だ」と名指すことができる人と、「何か笛の音がしたけれど、名前はわからない」と思う人がいるように「何かを嗅いだけれどそれが『雨の匂い』だとは認識していない、できない」人もいると思うのです。

当番は「雨の匂い」を嗅ぎとります。おおむね「ぺトリコール(Petrichor)」と呼ばれるものであろうと思います。「その『ぺトリコール』がわからない」という人へ向けて当番なりに言葉で説明するならば「よく見かける青みを帯びた濃い灰色の玉砂利。こどもの頃にあれを拾って握ったことがあるなら、あの滑らかな手触りと少し埃っぽい『石の匂い』がわかると思う。日に当たって温まったその玉砂利に雨がポツポツと降りかかる。最初の水滴は石の表面ですぐ乾くけれど、次々落ちてくる水滴で石は覆い尽くされて色が濃く変わる。そのときの、石の埃っぽい匂いに雨水の混ざった湿っぽい香りがぺトリコール」

この言葉は1964年にオーストラリア連邦科学産業研究機構の鉱物学者Isabel Joy BearとR. G. Thomasがネイチャーに発表した論文の中で作られた造語。

論文では、"長い間日照りが続いた後の最初の雨に伴う独特の香り"をペトリコールと定義している[1]。特定の植物から生じた油が地面が乾燥している時に粘土質の土壌や岩石の表面に吸着し、雨によって土壌や岩石から放出されることにより独特の匂いが発生するとしている。

Wikipedia ぺトリコール より

舗装されてだいぶ時間が経過した、白っぽく乾ききっているアスファルトの路面を雨が濡らしはじめるときにもぺトリコールを感じます。ぺトリコールの「ペトリ」の語源は「石」です。

「ぺトリコール」は「雨が降りはじめるときの匂い」なのですが、「まだ降ってはいないけれど、もうすぐ雨が降るのだろうな」というときにも当番はこのぺトリコールをかすかに嗅ぎとることができます。そのとき当番がいる地点で実際に雨が降りだすときよりは弱い匂いなのですが、「ここよりは遠いどこかで既に雨は降りだしている。その雨雲はもうすぐここまで来るだろう」ということが、湿った風に乗って切れ切れに匂ってくる淡いぺトリコールでわかる感じです。

雨っていきなり頭上で降りだすことはあまりなくて、だいたい別の、より西の方で生まれた雨雲が雨を降らせながら風に乗って東へ東へと流されてきます。地域の地形によって、たとえば「山から雨雲が降りてくる」とか「海の方角から雨雲がくる」とか違いがあるとは思いますが、当番のところはおおむね「南西から北東へ、千葉県から利根川を渡って茨城県へ」というルートで雨雲が来ます。当番が「もうすぐ雨の降ってきそうな匂いがする」と言いだすときは「当番の肌が吹きつける風をとらえ、鼻腔が湿気と淡いぺトリコールを感知した」です。田んぼや川の匂いも微かなぺトリコールと共に湿風に乗ってやってきます。なお、都内で「雨が来るなあ」と感じるときの匂いはぺトリコールと雨粒が掻きたてることで立つ川や運河の水の匂い(泥と藻の匂い)です。

発端ツイートの引用を見ていったら面白いことが書いてありました。雪国で育った人は「雪の匂い」がわかるそうです。都内育ちのご学友はわからなかったとか。それは……雨の匂いがあるなら雪の匂いもあるのが道理だけれど、都内育ちにそれがわからないのは致し方ない……。八王子辺りを除けば東京都内はひと冬に3回も降雪があれば「この冬はよく降るなあ」という土地柄。23区内で18年暮らしたら年3回ずつ降っても54回しか雪を経験しない。雪国ではひと冬で都内の人が18年かけて経験してきた回数の軽く倍の「雪が降りだす」を経験しているはず。たとえば雪国で18歳まで育った人は東京で18歳まで育った人のざっと36倍の雪経験値を持っているわけです。

「雨の匂い」がわかる当番も「雪の匂い」はわかりません。40年以上茨城県に住んでいますが、当番の住む辺りは本当に雪が少ないです。小学生時代は今より寒くてひと冬5回くらいは雪を見たかなあと記憶しているものの、近年は降るぞ降るぞと予報は出てもひと冬2回降ればいい方です。仮に「小学生の頃はひと冬5回降雪があり、その後は3回ずつ降った」でざっくり計算しても当番の雪経験回数は150をちょっと出るくらいです。

でも、雨の匂いはわかるのだからたぶん、雪の降りそうなお天気のときに「雪の匂い」がわかる人が「今、雪の降りそうな匂いがした。これが雪の匂いだよ」と言いだすところに居合わせたら当番もそれと知ることができるんじゃないかと思うのです。居合わせてみたい、雪国で育った人と、雪の兆しが漂う冬の夕暮れに。当番のフォロイーさんで、一年の半分は降雪している土地で18年暮らしたひとによれば「雪が降りはじめるなーという匂い」の他に「窓を開けたら積もっているだろうなーという匂い」もあるそうです。世の中には自分が嗅ぎ分けられない匂いを嗅ぎ分けて名付けている人が存在する。それってすごく面白いことだと当番は思うのです。

余談。学生時代に友達と百貨店をそぞろ歩いていて、当番が「あっ、とうとう雨降ってきちゃったんだね」と言ったら友達に驚かれたことがあります。窓もない、外が見えないフロアなのになぜわかる? と。これは匂いでわかったわけではなくて、その百貨店は雨が降りだすと全館放送でRaindrops Keep Fallin' on My Head(雨にぬれても)を流すということを当番が知っていただけです。あれを合図に店員さんたちが購入品に雨避けカバーをつけてくれるようになるんですよね。何のきっかけで知ったか忘れてしまったけれど、「見なくても雨だとわかる」繋がりで思い出した話。

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