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「ものづくりの往路が復路に転じる頃」が好き

趣味と若干の実益を兼ねて、この冬は編み物に勤しんでいます。Netflixで話数多めのアニメを観ながらかぎ針編みをしていると、目と耳と手元が程よく塞がってSNS断ちにも繋がり、精神衛生上なかなかよろしいです。編みながら『ダンジョン飯』と『鬼灯の冷徹』を完走しました、とても楽しかった。

編んでいたのはこの記事に書いた、さくらんぼこもち袋の増産分です。

各色6個分ずつのパーツが全て編み上がりました。つまり12個の実・12枚の葉が3色展開で合わせて72パーツ。これからスチームアイロンかけて組み上げてラッピングです。糸とパーツの在庫がこれで終わりなので、今回の分を売りきったらさくらんぼこもち袋は終売です。あと1ヶ月もすれば、冬糸の季節は終わって春夏糸の季節になりますしね。

料理でも手芸でも、何かを作るときの「往路・復路」とでも呼ぶべきものがありまして。当番はその「往路が極まって復路へ転じる段階」が好きです。「往路」は「あ、あれを作ろう」と思い立ち、作りかたを確認し材料を調達し、部品を切り出し、組み上げ前の状態まで加工していくところまで。この「往路」の段階で一時的に身の回りが部品と端材で溢れかえる。「復路」は加工の済んだ部品を組み上げて形にし、売りに出したり贈ったりする場合には梱包して渡せる状態にするところまで。溢れかえっていた部品がどんどん減っていき、最後に完成品となって当番の手元を離れていく(※自分が使うために作ったもの以外は)。

こういう「いったん増えてから、終わりへ向かって減っていく場面に入る」段階が当番は好きです。自転車を漕いで坂道を登っていって、頂上から降りはじめるときのような快感。バラバラだったものが繋ぎ合わされて、無数にあったものが少数の完成品へと収束していって、そしてそれらすべてが当番の手を離れていく。一時的に溢れかえっていた当番の身の回りに少し空間ができる。

思えば、当番がnoteに何かを書いたりアストロ同人誌を作って売ったりしているのも、料理や手芸と同じ「思い立ち、部品を作り、完成品にまとめあげて手を離す」という一連の流れとその過程にある快感を味わいたくてやっているのかもしれません。一時的に当番の脳内作業台に無数の部品が山と積まれ、それが記事や薄い本のかたちに編み上げられて当番の手を離れる。

noteの編集画面を開いたときはちょうど自転車で坂道のてっぺんまで登ってきて、復路に転じたところ。ペダルに掛けていた足の力をゆるめて、速度が出過ぎないように手はゆるくブレーキレバーを握りながら、坂道をくだっていく。書けば書くほど脳内の作業台は片付いていって、坂道をくだりきる頃には頭がすっきりしている。

そして当番はまた、別の坂道へ向かって漕いでいく。

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星見当番
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